「ズヴィアド・ガムサフルディア」の版間の差分

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[[1988年]]〜[[1991年]]、聖イリヤ・プラヴェドヌイ協会共同議長、「円卓-自由グルジア」(グルジア円卓会議)ブロックの指導者。[[1990年]]11月からグルジア[[最高会議]]議長。[[1991年]][[5月26日]]初代のグルジア大統領に選出される。民主派、改革派として政治的経歴を重ねたガムサフルディアであったが、政権掌握後は次第に独裁的な政治手法に終始し、野党からは独裁者と非難を浴びた。
 
[[1992年]][[1月6日]]、[[クーデター]]によりグルジアから追放され、[[チェチェン・イチケリア共和国]]へ亡命した。[[1993年]]9月に帰国したが、同年[[12月31日]]、グルジア西部のサメグレロで死亡。死亡時の状況については詳細がよく分かっていないが、遺体は頭部に2発の銃弾が命中した状態で発見された。暗殺や自殺、さらには闘に巻き込まれて亡したなど、いくつかの説がある。後にチェチェンの首都[[グロズヌイ]]に埋葬された。しかし、その後始まった[[チェチェン戦争]]によってガムサフルディアの墓は紛失し、行方が分からなくなっていたが、2007年に墓の場所が明らかになり、遺体は[[検視]]の後に改葬のためグルジアに運ばれた。改葬式は[[トビリシ]]の[[教会]]で行われ、当時の大統領[[ミヘイル・サアカシュヴィリ]]や多くの市民が参列した。
 
ガムサフルディアの最期をテーマにした『ヒブラ村』という映画が制作され、[[日本]]の[[岩波ホール]]で2017年に公開された<ref>[https://www.iwanami-hall.com/topics/fes/1987 ヒブラ村(ジョージア映画祭作品情報)]岩波ホール(2018年06月10日)2019年4月8日閲覧。</ref>。