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== 来歴 ==
[[静岡県]][[三島市]]出身。大学在学中から[[貸本劇画]]を研究していた縁で[[コミックマーケット]]代表の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]と出会い、[[同人サークル]]「'''[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]'''」に出入りする。この頃、漫画批評誌『[[漫画新批評大系]]』に「'''三流劇画ミニマップ'''」と題した記事を寄稿し、これが'''[[三流劇画ブーム]]'''の直接的なきっかけとなった<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 38頁</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20150310201056/http://www2.alice-novell.cc/pict/propeke/act2.html 川本耕次「プロジェクト・ペケ 猥褻犯たち 第二章 劇画アリスの伝説」]</ref>。
 
その後、[[みのり書房]]に入社し[[明治大学]]を中退。以後、[[エロ劇画誌|三流劇画誌]]『[[官能劇画]]』や『[[月刊OUT]]』1978年8月号の特集記事「吾妻ひでおのメロウな世界」担当を経て先駆的な[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ誌]]『'''[[Peke]]'''』を創刊する。同誌では[[吾妻ひでお]]にSFパロディ『[[ななこSOS#概要|どーでもいんなーすぺーす]]』(『[[ななこSOS]]』の原型)を描かせ、[[内山亜紀]](同誌でロリコン漫画を初めて描かせる)と[[さべあのま]]をデビューさせ<ref name="fus zadankai"/>、大学時代からの知人であった[[日野日出志]]を復活させる<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 37頁</ref>。
 
同誌廃刊後は[[アリス出版]]に移籍して合併アリス第五編集部編集長に就任し、'''[[ロリコンブーム]]'''の火付け役となった伝説的[[自販機本]]『'''[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]'''』2代目編集長となる。同誌では[[ビニ本]]界の伝説的アイドルである[[寺山久美]]([[天井桟敷]]出身の文学少女)をモデルに[[新潟県]][[上越市]]で写真撮影を敢行したほか<ref>川本耕次『ポルノ雑誌の昭和史』ちくま新書 2011年 169-172頁</ref>、コミケットで日本初のロリコン漫画同人誌『'''[[シベール (同人誌)|シベール]]'''』を発表していた[[吾妻ひでお]]に美少女漫画を依頼して「'''[[純文学シリーズ]]'''」を描かせる(のちに[[奇想天外社]]から『[[陽射し]]』としてB5判ハードカバーで単行本化された)<ref name="kawamoto112"/>。この連作は[[叙情]]的に描かれた美少女の[[エロティシズム]]を明確にテーマにした全8編の作品群で、後のロリコン漫画(美少女漫画)に直結する最重要作品群とみなされている<ref>大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、ISBN 978-4061495531。</ref>。なお吾妻は川本について「私の転機ともいえる作品を描く時に現れる幸運を運ぶ人」と『[[失踪日記]]』で語っていたほか<ref>[[吾妻ひでお]]『[[失踪日記]]』[[イースト・プレス]] 2005年3月 142頁</ref>、川本自身も「毎回通って、時には徹夜にもつきあって、原稿をいただいた時の感激は忘れません。時代を変える作品だと、あの頃から確信していました」と述懐している<ref>[https://twitter.com/shadowcity/status/1055822457339179008 川本耕次のツイート] 2018年10月26日</ref>。
 
その後、[[アリス出版]]から派生した[[群雄社出版]]で[[官能小説家]]兼[[エディター]]兼[[カメラマン]]として活動し、写真集『街には女の子たちがいっぱい』(近藤昌良撮影)やロリコンブームの集大成本『ロリコン大全集』([[蛭児神建]]監修)などを編集する([[群雄新社]]刊『ありす』『アリス倶楽部』にも小説を起稿)。
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* ぶかどん臨時別冊増刊号『A5版の夢 貸本漫画小論!』(1977年発行。[[貸本漫画]]に関する資料系[[同人誌]])
* 全国三流劇画共斗会ギ「三流劇画ミニマップ」([[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]『[[漫画新批評大系]]』第2期1号&2号掲載。1号は1977年12月、2号は1978年4月発行)
**「個人的なことにもなるが、迷宮として漫画批評誌『漫画新批評大系』を出していた77年の時点において[[少女漫画]]と[[エロ劇画]]は、新たな可能性を持つ漫画ジャンルとして取り組みを始めることにもなっていった。77年12月に出た『漫画新批評大系』(第2期/VOL.1/迷宮77)において、ぼくは川本耕次と共に『三流劇画ミニマップ』を“三流劇画共闘会議”名で掲載した。(中略)たぶん、ここから[[三流劇画ブーム]]はスタートしていったはずなのである。迷宮の中で三流劇画、エロ劇画に積極的に関わっていたのは川本耕次、青葉伊賀丸、そしてぼくだ。川本は78年の6月頃には『別冊官能劇画』の編集者となり、業界につながりが出来、迷宮と深い関わりのあった[[村上知彦]]が編集に携わる『[[プレイガイドジーナル]]』に企画を立ち上げるなどの動きが重なっていく<ref>[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『戦後エロマンガ史』青林工藝舎 2010年4月 221-223頁</ref>」([[米澤嘉博|米沢嘉博]])
* [[みのり書房]]『[[官能劇画]]』『[[Peke]]』『[[月刊OUT]]』(特集「吾妻ひでおのメロウな世界」担当)
* 新評社『別冊新評 三流劇画の世界』1979年4月発行(複数の[[ペンネーム]]を使い分けて[[構成]]、[[ルポ]]、[[評論]]、[[コラム]]などを米沢嘉博らと共に担当)