「ルイ14世 (フランス王)」の版間の差分

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コルベールによって[[ルーヴル美術館|ルーヴル宮]]の拡張がなされたが、1661年に狩り場の小館があった[[ヴェルサイユ]]の地に宮殿の建設を開始した<ref>[[#長谷川 2002|長谷川 2002]],pp.129-130.</ref>。これがルイ14世の治世を象徴する[[ヴェルサイユ宮殿]]となる。この地に宮殿を造営した理由は一般的にはルイ14世がフロンドの乱での苦い経験があるパリを嫌ったためともされるが<ref>[[#山上 1975|山上 1975]],p.236.</ref>、実際にはこれは理由ではなく彼は森と自然の地に自らの構想による新宮殿を造営することに拘ったためともされる<ref>[[#ベルセ 2008|ベルセ 2008]],p.165;[[#長谷川 2002|長谷川 2002]],p.130;[[#林田 1996|林田 1996]],pp.205-206.</ref>。この地は水利が悪く、工事は難航して、一応の完成を見て宮廷が移り住むのは20年後の[[1682年]]のことになる<ref>[[#長谷川 2002|長谷川 2002]],pp.130-131.</ref>。
 
ルイ14世は、負傷したり老齢化した、忠実に国王に仕えた将校のための[[オテル・デ・ザンヴァリッド]](アンヴァリッド、廃兵院)の建設を命じた。[[精神障害者]]・[[犯罪|犯罪者]]・[[ホームレス|浮浪者]]対策として[[1656年]]に「[[パリ市内および近郊の貧しい乞食の監禁のための一般施療院の設立を定める勅|一般施療院令]]」とその強化令が発せられ、労働をしない者を[[ハンセン病|癩]](らい)施療院だった建物を転用して収容した<ref>[[#『精神障害のある人の人権』|『精神障害のある人の人権』]]</ref>。その大規模な施設として、総合施療院、[[ビセートル病院]](男性)、[[サルペトリエール病院]](女性)の建設を指導するなど<ref>[[#岩波 2009|岩波 2009]],p.67.</ref>、公共の福祉にも関心を払っている。
 
=== 治世前半の戦争と領土拡大 ===