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[[春秋時代]]の魯に、後年「文聖」「大成至聖先師」と称えられる[[思想家]]・教育家である'''[[孔子]]'''が現れた。彼の思想は後に「'''[[儒教]]'''」と呼ばれ、中国や東アジアに数千年に渡り重大な影響を及ぼすこととなる。孔子の死後わずか1年で、[[哀公 (魯)|魯公]]は孔子に対する祭奠を行った。[[前漢]]に入ると高祖・[[劉邦]]はさらに大々的に孔子を祭る儀式を執り行わせた。孔子の子孫たちは曲阜に代々居住し、歴代朝廷から封賞を受け「[[衍聖公]]」という称号を世襲し、次第に中国でも第一の名家となった。その一族は21世紀の今日に至るまで続いているほか(第77代[[孔徳成]]は[[台湾]]に在住していたが、[[2008年]][[10月28日]][[中華民国]][[台湾]]・[[新店市]]の病院にて心肺機能不全のため88歳で死亡)、曲阜周辺には10万人を超える孔姓の人々が住んでいる。曲阜にある孔家の廟(孔子廟)や府(直系の子孫が住む宮殿)は[[孔廟]]・[[孔府]]と呼ばれ、歴代皇帝の保護のもと絶えず拡大し、今日見るような壮大な建築群となった。また曲阜の町の北方の、約10万の墓があるという林「[[孔林]]」は孔家の墓地で、一家族の墓地としては世界最大規模のものである。曲阜の孔府・孔廟・孔林(「三孔」)は世界遺産にも登録されている。ただし長年補修や管理が十分でなかった時期があり、[[文化大革命]]で一部損壊したものの修理も十分とはいえず、完全な状態ではない。そのほか、城の内外に孔子の弟子・[[顔回]]を祀る顔廟や西夏侯遺跡、周公廟、春秋書院、漢魯王墓、少昊陵、石門寺、宋景霊宮故址など無数の遺跡や文物が散在する。
 
[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]末期、魯国は[[楚 (春秋)|楚]]国によって滅ぼされ、楚はこの地に魯県を置いた。前漢は、皇族をこの地に封じて魯王とし、ここを魯国とした。[[三国時代 (中国)|三国時代]]にはまた魯県が置かれ、魯郡を統治する中心地となった。{{要出典範囲|[[隋]]になって「城の東に阜(おか)有り、委曲して長さは七八里」という由来から名を曲阜県と変え|date=2020年2月}}、兗州(えんしゅう)に属している。[[明]][[清]]や近代まで、絶えず孔家の本拠として栄えてきたが新中国建国で孔家の直系子孫は台湾に逃れた。[[1982年]]に国家歴史文化名城に指定され、[[1986年]]には曲阜県は廃止され曲阜市となり、[[地級市]]・済寧市の管轄下におかれた。
 
== 経済 ==