「能代港」の版間の差分

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== 概要 ==
能代港の歴史は秋田県内でも最も古く、[[658年]]([[皇極天皇|斉明天皇]]4年)越国守[[阿倍比羅夫]]が軍船180隻を引いて蝦夷征伐のため渟代(ぬしろ、能代の古称)に上陸したのが記録上の初出である。また[[続日本紀]]には、[[光仁天皇]]の[[宝亀]]年間に、[[渤海 (国)|渤海]]の使臣[[壱万福]]等350余人が船10隻に乗り野代湊(のしろみなと)に着いたことが記録されている<ref>『続日本紀』宝亀2年6月27日条</ref>。記録には「賊地」とされている。[[1611年]]([[慶長]]16年)に[[佐竹義宣 (右京大夫)|佐竹義宣]]によって[[久保田藩]]北部の物資集積地として林木受勘定所が設置されると、日本海の要港として[[北前船]]による交易が盛んとなった。明治期には[[秋田杉]]の輸送拠点として大いに発展したが、河港としては土砂の堆積が進み、大型船が入港できない事もあって停滞することとなった。戦後、港の整備が進められ[[1981年]]([[昭和]]56年)に重要港湾に、[[2006年]]([[平成]]18年)に[[静脈物流|リサイクルポート]]に指定された。今日では主に石炭の輸入が貨物取扱量の大きな割合を占める。
 
また、県内外の釣り人に釣り場として利用されている。