「森山崩れ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
編集の要約なし タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集 |
||
22行目:
== 動機 ==
[[ファイル:Matsudaira Kiyoyasu.jpg|thumb|
清康の家臣である[[阿部定吉]]が、親織田氏勢力に加わるという噂があった
風説を流布したのは、後に織田信秀の妹を自分の長男・清定の妻に迎えさせてその縁戚となった[[松平信定]](清康の叔父、[[桜井松平家]])であったとされるが、このときは、出陣していなかった{{Efn|平野明夫はこの出兵を織田ではなく松平信定への出兵とする{{Sfn|平野|2002|pp=281-283}}。また、松平信定が出陣してこなかったのは撤退を目的としており目的を果たしたからだとする{{Sfn|平野|2002|p=300}}。}}。
朝野旧聞裒藁によると清康がまだ安城にいた頃、松平信定が清康の家臣・落合嘉兵衛を咎めたところ、落合の答弁が見事で清康は500貫文加増したという
天文6年(1537年)6月に、戦国大名・[[今川氏]]や、[[吉良氏]]の介入があったためか、信定は、岡崎城を退去して、桜井城に戻った。
== 事件後 ==
|