「森山崩れ」の版間の差分

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'''森山崩れ'''(もりやまくずれ)とは、[[天文 (元号)|天文]]4年[[12月5日 (旧暦)|12月5日]]([[1535年]][[12月29日]])早朝に、[[三河国]][[岡崎城]]主・[[松平清康]]が、[[尾張国]][[春日井郡]]山(現在の[[愛知県]][[名古屋市]][[守山区]])の陣中において、家臣の[[阿部正豊]]に[[暗殺]]された事件をいう。「'''守山崩れ'''」と書かれることもある。『[[信長公記]]』では守山、『[[三河物語]]』では森山と記載されている。尚、森山という地名は現地には存在しない。忖度により江戸以降、森山と記載される例もある
 
== 背景 ==