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古代における称号の用例
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皇帝自身の自称と他称は勅令や書簡に登場しており、他称は民間の文書や文学作品にも登場している。例えば、ウェスパシアヌスの勅令には、「 imperatori Caesari Vespasiano Augusto(最高司令官・カエサル・ウェスパシアヌス・アウグストゥス)」<ref>[[#古山2002]]p168-169「ウェスパシアヌス帝の最高指揮権に関する法律」</ref>とあり、同勅令にある他称としてクラウデベリウスを指して「ティベリウス・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス」と記載されている。時代が下った場合では、例えばテオドシウス法典におい収録されいるコンスタンティヌス大帝の法令ではコンスタンティヌスは「Imp. Constantinus (インペラトル・コンスタンティヌス)」<ref>テオドシウス法典11巻9章第一法文</ref>と自称している。エジプトから出土した同時代の民間のパピルス文書でも「Αυτοκράτορας Καίσαρός Τραϊανός Αδριανός  Σεβαστός(皇帝・カエサル・トラヤヌス・ハドリアヌス・アウグストゥス)」と書かれている<ref>高橋亮介「[https://researchmap.jp/ryosuke_takahashi/published_papers/1028658 ローマ期エジプトにおける地方名望家:2世紀アルシノイテス州のパトロン家の事例から]」 p41 </ref> <ref group="注">Αυτοκράτορας ([[アウトクラトール]]はインペラトルの古代におけるギリシア語訳、Σεβαστός(セバストス)は、カエサルの古代におけるギシリア語訳。アウグストゥス個人を指す場合はΑυγούστουとギシリア文字で表記した)</ref>。一方文学作品において、正式称号を記す必要のある場合を除き、一般に皇帝個人を示す用語としてはプリンケプスやインペラトルのみが用いられる場合が多い<ref>タキトゥス作品の翻訳者国原吉之助は、プリンケプスを「元首」と訳し、インペラトルを「最高司令官」と訳している</ref>。古代においては皇帝は、以上のような他称・自称をされていたのであって「ローマ皇帝」のように「ローマ」を冠して自称したことはないので注意が必要である。 <ref group="注">古代の文学作品の一部で「ローマのimperator」「ローマのprinceps」という用語が用いられている。例えばタキトゥスでは、「principes Romani」(12巻48章)「principem Romanum 」(14巻25章)、「imperatorem Romanum」(15巻5章)が登場していて、19世紀の{{仮リンク|Alfred John Church|en|Alfred John Church}}とWilliam Jackson Brodribbの英訳ではいずれも「the Roman emperor」と訳しているが、国原吉之助は、「ローマの元首」「ローマの最高司令官」の訳語を当てている。しかしながらタキトゥスに限らず古代の文学作品では、「Roman/Romanum(ローマの/ローマ人の)」をprincipesやimperatorに冠する用例は殆どなく、各作品の中で皇帝を示す用語は殆どprincipes或いはimperatorが単体で用いられている。これはタキトゥスに限らず3世紀初頭の[[カッシウス・ディオ]]や4世紀末の『[[ローマ皇帝群像]]』、[[アンミアヌス・マルケリヌス]]の『ローマ帝政の歴史』、更に時代が下って6世紀の[[プロコピウス]]『秘史』でも同様である。タキトゥス『年代記』で「ローマの」がprinceps/imperatorに冠された回数は6回、『同時代史』では2回、カッシウス・ディオでは2か所、『ローマ帝政の歴史』では4回(2020年2月現在日本語訳は三冊中の第一分冊しか出ていないが、第一分冊では3か所Romani Principis(及びその格変化形)が登場していおり、訳者山沢考至はすべて「元首」の訳語を当てている(最後の一か所はimperator Romanusで29巻1-4(日本語訳では第三分冊収録予定)に登場している)『秘史』では5回登場している。このように、「ローマ皇帝」という用例は、古代において存在していたものの、文学作品に限られておりかつ非常に稀である</ref> 「ローマ皇帝」という称号が皇帝の勅令や発給文書への署名として用いられるようになるのは9世紀以降のことであり、[[カール大帝]]とビザンツ皇帝が皇帝称号を巡って争って以降のことである<ref group="注">編纂史料においてもこの同じ時期から「ローマ皇帝」の用語が登場する。814年頃完成したと考えられている{{仮リンク|テオファネス|en|Theophanes the Confessor}}作『テオファネス年代記』は、ディオクレティアヌスの治世284年から書き起こしているが、年代表記時の各皇帝の治世年を記載する箇所ではディオクレティアヌス以降全皇帝の名前の前に「Ῥωμαίων βασιλεὺς(ローマ人の皇帝/ローマ皇帝)」が冠されている</ref>。
 
=== 職位 ===
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;[[護民官#護民官職権|護民官職権]]
:ローマ皇帝は、護民官職権を付与されることにより、護民官に就任することなく護民官と同等の権限を行使することができた。すなわち神聖不可侵権を持ち、ローマ内のあらゆる行政的な決定や提案に対する[[拒否権]]を持ち、立法権がある[[プレブス民会]]を召集できた。執政官の権能が命令権といった積極的なものであるのに対し、護民官職権は拒否権といった消極的なものとして位置づけられた。ただし、護民官職権を行使できるのはローマ市内とローマ市から1[[マイル]]までの範囲に限られていた<ref name="弓削2010p173" />。オクタウィアヌスは[[紀元前23年]]に護民官職権を獲得した{{Refnest|group="注"|より正確には、紀元前23年より、1年限りの護民官職権が毎年付与された<ref name="弓削2010p170" />。}}。
;皇帝裁判権
:執政官職権、護民官職権、プロコンスル上級命令権と異なり明確に職権を委託する法的根拠があって成立したわけではないため、皇帝裁判権の成立時期についてはアウグストゥスからネロの頃までの間で幅があり、モムゼン以来の長い学問上の論争がある。元老院裁判や皇帝管轄属州[[属州総督|代官]]の主催する陪審法廷等の上訴審として段階的に成立したものと考えられている<ref>[[#弓削2010]]第三章三節「皇帝裁判権の成立」で論争史と主にアウグストゥス時代における成立論を論じている</ref>。
 
=== ローマ皇帝を指して用いられた語 ===
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:「第一人者」を意味する[[ラテン語]]で、その道において最も権威があると思われる者を指して用いられた。[[共和政ローマ|共和政]]時代から用いられており、オクタウィアヌスも自身に対して使用していた<ref>[[#弓削2010|弓削2010]]、pp.152-154。</ref>。英語の[[プリンス]]({{lang|en|Prince}})やドイツ語の[[プリンツ]]({{lang|de|Prinz}})の語源とされる。
;「[[ドミヌス]]」の語
:「主人」を意味するラテン語で、主に[[3世紀]]末以降に、[[ディオクレティアヌス]]や[[コンスタンティヌス1世]]らのような「強いローマ皇帝権」を志向したローマ皇帝に対して呼びかける際に用いられた。この言葉の使用に対する感情には呼びかける側にも呼びかけられる側にも様々なものがあり、例えば[[1世紀]]のローマ皇帝[[ティベリウス]]は自身に対して「主人(ドミヌス)」と呼びかけた者に対して「私を主人と呼ばないでくれ」と返していたとされる<ref name="スエトニウス1986p258">[[#スエトニウス1986|スエトニウス1986]]、p.258。</ref>。
;「神聖なる({{lang|la|'''sacer'''}}, {{lang|la|'''sacrum'''}})」の語
:[[3世紀]]以降に「ローマ皇帝の」の同義語として用いられた<ref>[[#レミィ2010|レミィ2010]]、pp.54-55。</ref><ref>[皇帝]『世界歴史大事典』教育出版センター、1992年。</ref>。例えば「神聖なる宮殿」「神聖なる寝室」といえば「皇帝の宮殿」「皇帝の寝室」を意味した。[[4世紀]]以降には「ローマ教皇の」を意味する {{lang|la|'''sacred'''}} と「ローマ皇帝の」を意味する {{lang|la|'''sacrum'''}} とが対になる語として用いられた {{要出典|date=2020年2月}}
;「不敗の({{lang|la|'''Invictus'''}})」の語
:三世紀以降皇帝の称号に冠されるようになった<ref>南川高志「ローマ皇帝権力の本質と変容(コメント2)[[#笠谷2005]]、p219</ref>。これに類する用語として二世紀末以降の皇帝には「敬虔な」(神々や人々に対する責務を重んじること)「幸運な」(神々に護られていること)、「不敗の」(太陽(ソル)を含意し、元首の恒久的な軍事的勝利という基礎概念を主張するもの)という形容詞が称号付加された<ref>[[#レミィ2010|レミィ2010]]、pp.51-52。</ref>。
 
== 歴代ローマ皇帝 ==
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* [http://ancientrome.ru/ius/library/codex/theod/tituli.htm TITULI EX CORPORE CODICI THEODOSIANI] テオドシウス法典ラテン語版
* [https://archive.org/details/bub_gb_TnRHAAAAYAAJ/page/n17/mode/2up テオドール・モムゼン編集テオファネス年代記ギリシア語版]プリンストン大学古典叢書
*{{Cite book|和書|author=[[笠谷和比古]]|year=2005|title=公家と武家の比較文明史|publisher=[[思文閣出版]]|isbn=4784212566|ref=笠谷2005}}
 
 
== 関連項目 ==