「ノート:東ローマ帝国」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
81行目:
なお、-K.Frankieさんが「確認済み」とされた以下の文言も修正いたしました。
 
*「イデオロギー」の節の「しかし9世紀になると帝国は再び「ローマ帝国」や「ローマ皇帝」といった名称を用いるようになった<--ref name="尚樹1999pp403-404" /><--ref name="オストロゴルスキー2001p257" />」は、オストロゴルスキーの当該部分を確認したところ、「再び」用いたという文言はないため、「再び」の文言を削除し前後の文言を修正しました。
*「ビザンツ皇帝理念」の節で、「5世紀の半ばに[[コンスタンティノープル総主教]]による戴冠の儀式が古代ローマの「元老院・市民・軍隊による推戴」という伝統を押しのけて皇帝観の本質的部分となった」は、引用元の文言の通り「皇帝観」を「戴冠式」に修正いたしました。--[[利用者:German Romanist|German Romanist]]([[利用者‐会話:German Romanist|会話]]) 2020年2月29日 (土) 10:59 (UTC)
ページ「東ローマ帝国」に戻る。