「ブリハドラタ・マウリヤ」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2020年3月3日 (火) 06:16 (UTC)}}
ブリハドラタ・マウリヤは、ブリハードと乗るマウリヤ帝国の最後の君主(在位紀元前198182年〜紀元前185年)であっ。父はサパタナバン。プラナ文献によると、ブリハドラサはシャタダンヴァンを継承し、7年間統治しとされる
 
 
マウリヤ帝国は最盛期を迎えたアショカ大王の死後、彼の息子によって分裂した。いくつかの伝説や仏典などの記録があるが、アショーカ王以後の王名はそれらの諸記録で一致せず、その代数も一致しないことから王朝が分裂していたことが想定されている。
 
 
彼が即位した時には、マウリヤ帝国の領土はパータリプトラを中心にした、アショカ大王の時代に比べて縮小していた。彼は紀元前185年に司令官ブラミン将軍プシャミトラ・スンガによって暗殺されて権力が簒奪され、マウリヤ帝国は滅亡した。プシャミトラ・スンガはスンガ帝国を建てた。
ブリハドラタ・マウリヤは、182年に即位した。彼はまた仏教に忠実だったとされる。
 
 
彼が即位した時には、マウリヤ帝国の領土はパータリプトラを中心にした、アショカ大王の時代に比べて縮小していた。彼は紀元前185年に司令官ブラミン将軍プシャミトラ・スンガによって暗殺されて権力が簒奪され、マウリヤ帝国は滅亡した。プシャミトラ・スンガはスンガ帝国を建て築き上げた。
 
 
ブリハドラタの暗殺には『プシュヤミトラは、プシャミトラの軍隊の強さを示すという口実でパレードしながら、軍の前で元皇帝を殺し、新しい支配者としての地位を確立した』と言う伝説が残っている。
 
紀元前180年北西インドはグレコ - バクトリア王ドゥミトゥリオス1世の攻撃を受けた。彼は、パキスタンのパンジャブのカブール渓谷で治めた。彼の後継者たちは、スンガ帝国との一連の戦争に巻き込まれた。