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=== 創成期 ===
;1934年 発足
:同好会として発足する<ref>[http://www.kcfaold.jp/2003/2003CLASH.files/2003CLASH-HOSEI.htm 2003CLASH BOWL チーム紹介 法政大学]</ref>。
;1935年 創部 連盟加盟
:同年創部<ref>[http://www.47news.jp/sports/turnover/news/japan_news/166904.html 週刊TURNOVER 法政大トマホークスが創部80周年 600人が節目を祝う]</ref>。メンバーの中心は[[二世 (日系人)|日系二世]]の留学生たちで、[[ハワイ]]出身[[日系二世]]の[[保科進]]らが創設に携わった<ref name=":0" />。創設者の一人、[[若林忠志]]は[[野球殿堂 (日本)|プロ野球殿堂]]入りを果たしている名投手である<ref name=":3" /><ref>[https://hanshintigers.jp/entertainment/wakabayashi/vol_1.html 阪神タイガース 若林忠志が見た夢]</ref><ref>[https://hanshintigers.jp/community/wakabayashi/ 阪神タイガース 「若林忠志賞」]</ref>。
:前年に立教大、[[明治大学グリフィンズ|明治大]]、[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早稲田大]]の三校により設立された東京学生アメリカンフットボール連盟(当時は東京学生米式蹴球競技連盟、現在の[[関東学生アメリカンフットボール連盟]])に[[慶應義塾體育會アメリカンフットボール部|慶応大]]とともに加盟する。同年はリーグ戦4位、同年12月、[[関西大学カイザース|関西大]]と対戦し43-0で勝利した。
;1936年 関西大学との定期戦開始
:第1回となる[[関西大学カイザース|関西大学]]との定期戦が東京の芝運動公園で開催され、39-0で勝利した。
:同年はリーグ戦3位
:部員24人中、日系アメリカ人7人<ref>日本体育協会『【最新】スポーツ大事典』大修館書店</ref>
;1937年
: [[関西大学カイザース|関西大学]]との第2回定期戦では55-8と敗北した。
:同年はリーグ戦5位
;1938年 [[日本アメリカンフットボール協会]]の結成
:立教大、[[明治大学グリフィンズ|明治大]]、[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早稲田大]]、[[慶應義塾體育會アメリカンフットボール部|慶應大]]、[[関西大学カイザース|関西大]]と共に[[日本アメリカンフットボール協会]](当時は日本米式蹴球協会)を結成した。
:同年はリーグ戦3位
 
=== 甲子園ボウル初優勝 ===
;'''1972年'''  甲子園ボウル初優勝
:[[日本大学フェニックス|日大]]を破りリーグ戦初優勝。
:[[甲子園ボウル]]では[[関西学院大学ファイターズ|関西学院大学]]を破り[[甲子園ボウル]]初出場初優勝を成し遂げる<ref>[http://www.koshienbowl.jp/2007/03ayumi02.html 甲子園ボウルとは? 大会の歩み]</ref><ref name=":5">[http://sports.47news.jp/smp/sports/turnover/column/shishido/132676.html 週刊TURNOVER「伝家の宝刀」オプション攻撃 HOSEI TOMAHAWKSの流儀]</ref>。
;'''1973年'''
:関東選手権決勝で[[日本大学フェニックス|日大]]引き分けるも抽選で[[甲子園ボウル]]には出場できず。
 
=== 1990年代 ===
;1991年  「フリーズオプション」の導入
:[[安田秀一]]が主将に就任したこの年、OL安田とともにQB今手義明が、[[法政大学第二中学校・高等学校|法政二高]]時代からのフリーズオプション<ref>[http://www.geocities.co.jp/Athlete-Acropolis/9318/concept.htm オプションの戦略・・・フリーズオプション]</ref>(当時アメリカカレッジで一世を風靡したシステムであり、法政二高コーチであった宮本氏が1年間休学し発祥の地である[[シラキュース大学|シラキュース大]]学に留学、持ち帰って来た物)を導入し、独走[[タッチダウン]]を連発する<ref name=":5" />。同年、春の第23回定期戦で10年振りに[[日本大学フェニックス|日大]]を破る。
:関東リーグ戦でブロック2位
;1992年 甲子園ボウル出場(20年ぶり)
:関東リーグ戦を全勝してブロック1位となり、第13回[[あずまボウル|パルサーボウル]]にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:甲子園ボウルでは[[京都大学ギャングスターズ|京大]]に敗退、関東リーグにおいては[[日本大学フェニックス|日大]]に代わり、関東学生リーグに'''「法政の時代」'''が到来する<ref>[http://www.kcfaold.jp/2012azuma/2012azuma-hosei.html 2012あずまボウル 出場チーム紹介 法政大学トマホークス]</ref>。
;1993年
:初出場の[[ヨコハマボウル]]にて[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に敗退する。
:関東リーグ戦ではブロック2位と[[甲子園ボウル]]出場を逃す。
;1994年 甲子園ボウル出場
:この年より2001年まで8年連続して[[甲子園ボウル]]出場を果たす。
:関東リーグ戦で日体大戦で敗戦するもブロック1位となり、第15回[[あずまボウル|パルサーボウル]]にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]では[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に2点差で敗退する。
;1995年 甲子園ボウル出場(2年連続)
:[[ヨコハマボウル]]にて[[京都大学ギャングスターズ|京都大学]]に勝利する。
:関東リーグ戦でブロック1位となり、プレーオフ決勝戦にて専修大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]では[[京都大学ギャングスターズ|京都大学]]に敗退する。
;1996年 甲子園ボウル出場(3年連続)
:[[ヨコハマボウル]]で[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に勝利する。
:関東リーグ戦でブロック1位となり、プレーオフ決勝戦にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:前年に続き[[甲子園ボウル]]にて[[京都大学ギャングスターズ|京都大学]]に敗退する。
;'''1997年''' 甲子園ボウル優勝(25年ぶり2回目)
:[[ヨコハマボウル]]にて[[関西学院大学ファイターズ|関西学院大学]]に勝利する。
:関東リーグ戦でブロック1位となり、プレーオフ決勝戦にて東海大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]で関学と対戦し、引き分け、史上4度目の両校優勝という形で、25年ぶり2回目の[[甲子園ボウル]]優勝を果たす<ref>[http://www.xleague.com/kiroku/97/specia_a/1220/senp_ko.html Xリーグ記録集 1997~2005]</ref>。
:[[ライスボウル]]では鉄壁ディフェンスの[[鹿島ディアーズ]]に敗退 <ref>[https://www.nikkansports.com/sports/football/2006/rice-bowl/rice_1998.html 鹿島、法大を史上初の完封で下し初の日本一に]</ref>。同試合は国内のアメフト観客最多動員記録となる約47000人を集めた。
;1998年 甲子園ボウル出場(5年連続)
:[[ヨコハマボウル]]にて[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に勝利する。
:関東リーグ戦初戦[[早稲田大学ビッグベアーズ|早稲田大]]に敗退するもブロック1位となり、プレーオフで専修大と[[日本大学フェニックス|日本大]]を下し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]にて[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に敗退する。
;1999年 甲子園ボウル出場(6年連続)
:[[ヨコハマボウル]]にて[[鹿島ディアーズ]]に1点差で勝利する。
:関東リーグ戦を全勝し、関東大学選手権決勝で[[日本大学フェニックス|日大]]を下し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]では[[関西学院大学ファイターズ|関西学院大学]]に敗退。
 
=== 2000年代 ===
;'''2000年''' 甲子園ボウル優勝(3年ぶり3回目)
:関東リーグ戦を全勝し、第1回[[あずまボウル|クラッシュボウル]]決勝戦で日体大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[関西学院大学ファイターズ|関学]]を下し、28年ぶりに念願の[[甲子園ボウル]]単独優勝(関東のチームとして10年ぶりの甲子園勝利)を果たす<ref>[http://www.xleague.com/kiroku/00/special_a/koshien-bowl/senp_1217.html 法政大が8年越しのリベンジ!悲願の単独優勝を果たす!]</ref>。
:[[ライスボウル]]では[[アサヒ飲料チャレンジャーズ]]に敗退した <ref>[https://www.nikkansports.com/sports/football/2006/rice-bowl/rice_2001.html アサヒ飲料、圧勝で初優勝飾る]</ref>。
;2001年 甲子園ボウル8年連続出場達成
:関東リーグ戦を全勝し、第2回[[クラッシュボウル]]決勝戦で日体大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:1994年からこの年まで8年連続([[日本大学フェニックス|日本大学]]と並んでタイ記録)して甲子園ボウル出場を果たす。
:[[甲子園ボウル]]では[[関西学院大学ファイターズ|関西学院大学]]に敗退する。
;2002年
:法大伝統のIフォーメーション、フレックスボーンからのオプション。それに加えてショットガンを採用した。<ref>[https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:VMWC9mL0sOEJ:https://www.nikkansports.com/univ/hosei/h-af2002s.html+&cd=7&hl=ja&ct=clnk&gl=jp 法大ショットガン採用へ 春季オープン戦日程-スポホウ]</ref>
:[[ヨコハマボウル]]にて[[アサヒビールシルバースター]]に敗退する。
:関東リーグ戦を全勝し、第3回[[あずまボウル|クラッシュボウル]]準決勝で[[早稲田大学ビッグベアーズ|早稲田大]]に2点差で敗退し、関東リーグ9連覇と[[甲子園ボウル]]出場を阻まれる<ref name=":9" />。
;2003年 甲子園ボウル出場
:関東リーグ戦で[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早大]]に敗れて10年振りにブロック優勝を逃すものの、プレーオフを制し[[甲子園ボウル]]に出場<ref name=":10" />。
:その甲子園で[[立命館大学パンサーズ|立命館大学]]に大敗。
;2004年 「ショットガン」攻撃の本格導入
:この年、1990年から続いた伝統のオプション攻撃にかわり、本格的にショットガン攻撃を導入した。開幕戦で前年2部校の横浜国大に敗れるものの、第5回[[クラッシュボウル]]決勝戦で中央大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:甲子園にボウルでは[[立命館大学パンサーズ|立命館]]に敗退した。
;'''2005年''' 
:関東リーグ戦を全勝し、第6回[[クラッシュボウル]]決勝戦で慶應大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:甲子園ボウルで[[立命館大学パンサーズ|立命館]]17-14で勝利し、5年ぶりの学生日本一。
:[[ライスボウル]]では、[[オービックシーガルズ|オービック・シーガルズ]]に17-47で敗退した<ref name=":11" />。
;'''2006年'''  甲子園ボウル連覇(初の連覇、5回目)
:春季オープン戦にて関学に(45-3(5/28)、43-7(6/3))と連勝した<ref name=":32">[TOUCHDOWN №447 10月号付録より]</ref>。
:関東リーグ戦を全勝し、第7回[[クラッシュボウル]]決勝戦で慶應大に勝利し[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:この年は、'''「伝統&連覇」'''を[[スローガン]]に掲げた。関東リーグ優勝候補の最右翼であったが、日大と[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早稲田]]も有力候補に挙げられており、苦戦を強いられるとみられていたが4年連続の優勝を決める。
:[[甲子園ボウル]]では5年振りに関西リーグを制した[[関西学院大学ファイターズ|関学]]と対戦して勝利し、創部71年目にしてチーム初の甲子園ボウル「連覇」を達成した<ref>[http://www.koshienbowl.jp/2006/newsheadline/news20061218.html <甲子園ボウル ゲームリポート> 法政が激闘を制し初の大学王座連覇達成!]</ref>。
:続く[[ライスボウル]]では[[オンワードスカイラークス]]に敗退した<ref>[http://blog.nikkansports.com/user/hosei/af/h-af2006.rice.html 日本一の栄冠、惜しくも一点及ばず]</ref>。
;2007年
:関東リーグ戦初戦の帝京大学戦に123-0という記録的得失点差で勝利し、全勝する。第8回[[あずまボウル|クラッシュボウル]]決勝戦にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に敗退し、5年ぶりに[[甲子園ボウル]]出場を逃す。
;2008年 甲子園ボウル出場(2年ぶり)
:関東リーグ戦を全勝し、第9回[[クラッシュボウル]]決勝戦で[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早稲田大]]に勝利し甲子園ボウル出場を決める。リーグ戦において3年生エースRB[[原卓門|原]]が1043ヤード98回1043ヤード15TDを記録、関東学生史上5人目の1000ヤードラッシャーとなり関東リーグ戦MVPに選ばれた。
:[[甲子園ボウル]]に出場するが、[[立命館大学パンサーズ|立命館大]]に敗退<ref name=":8" />
;2009年 甲子園ボウル出場(2年連続)
:関東リーグ戦を全勝し、東日本代表校決定戦では[[早稲田大学ビッグベアーズ|早稲田大]]に勝利し2年連続の[[甲子園ボウル]]出場を決める(観衆12,500人)。<ref name=":12" /><ref name=":13" />
:[[甲子園ボウル]]では[[関西大学カイザース|関西大]]に敗退 (観衆25,000人)。<ref>[http://www.koshienbowl.jp/2009/2009/12/6.html 関西大が法政大を下し62季ぶり2度目の学生王者に。]</ref><ref>[http://blog.nikkansports.com/user/hosei/af/1129.html クラッシュボウル東日本代表校決勝 法政大学 vs 早稲田大学-スポホウ]</ref><ref>[http://www.hosei.ac.jp/koho/doga/2009/091221.html 2009年度甲子園ボウル法政大学HP内配信動画]</ref>
 
===2010年代===
;2010年
:関東リーグ戦を全勝するが、続く東日本代表校決定戦にて[[早稲田大学ビッグベアーズ|早稲田大]]に敗退し、[[甲子園ボウル]]出場を3年ぶりに逃す。
:丸田喬仁が関東歴代1位となる年間スコアリングキック63点を記録
;2011年
:関東リーグ戦を全勝し、第1回[[あずまボウル]]にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に敗退し、[[甲子園ボウル]]出場を2年続けて逃す。
;2012年 甲子園ボウル出場(3年ぶり17回目)
:関東学生リーグ戦を全勝し、第2回[[あずまボウル]]で[[日本大学フェニックス|日本大]]に勝利し3年ぶりに[[甲子園ボウル]]出場を決める。
:[[甲子園ボウル]]では、[[関西学院大学ファイターズ|関西学院大]]に敗退<ref>[http://www.koshienbowl.jp/2012/2012/12/-44.html 【法政大かく戦えり】 号泣する選手達の中で主将DL#44蔀は涙を見せなかった。]</ref>、またも関西の壁に阻まれる<ref>[http://www.hosei.ac.jp/koho/doga/2012/121226.html 2012年度甲子園ボウル法政大学HP内配信動画]</ref>。
;2013年
:関東リーグ戦を全勝するが、続く第3回[[あずまボウル]]にて[[日本大学フェニックス|日本大]]に敗退し[[甲子園ボウル]]出場を逃す。
;2014年 関東リーグ戦73連勝
:TOP8決勝の[[日本大学フェニックス|日本大]]戦に1FG差で敗退し連勝はストップしたが、2004年度から続く関東リーグ戦73連勝を記録した<ref name=":3" />。
:第1回[[TOKYO BOWL]] (東西大学対抗戦)で[[立命館大学パンサーズ|立命館大]]に敗退。
;2015年 創部80周年
:創部80周年<ref>[http://www.47news.jp/sports/turnover/news/japan_news/166904.html 週刊TURNOVER 法政大トマホークスが創部80周年 600人が節目を祝う]</ref>。
:同年は、[[慶應義塾體育會アメリカンフットボール部|慶応大学]]との同じ勝率で並ぶも、直接対戦の結果により関東3位でシーズンを終えた。
;2016年 チームの変革
:春に元監督の不祥事が発覚し、法政大学トマホークスは立て直しを図る必要があった。そこで、同年9月、1991年度に主将を務めた[[安田秀一]]が監督に就任。続いて2009年卒の日本代表、現役Xリーグ選手の[[栗原嵩]]がWRコーチに就任<ref>[https://www.facebook.com/HoseiFootball/photos/a.1168012376558758.1073741826.357581857601818/1450870591606267/?type=3&theater 【新コーチ就任のお知らせ】]</ref>。
:チーム・フィロソフィーとして'''『'''「[[自由]]と[[進歩]]のフットボール」 Freedom, Progress, and Football』を掲げている<ref name=":31">[https://www.hoseifootball.com/message/ 法政大学体育会アメリカンフットボール部 PHILOSOPHY - 理念 -「自由と進歩のフットボール」Freedom, Progress, and Football]</ref>。
:同年は[[早稲田大学米式蹴球部ビッグベアーズ|早稲田大]]、[[慶應義塾體育會アメリカンフットボール部|慶応大]]と三校が同じ勝率で並ぶも、得失点差により関東3位でシーズンを終えた。
;2017年 ニックネームの変更
:1月に[[安田秀一]]が総監督に就任。ヘッドコーチには1994年度主将で元日本代表LBコーチの有澤玄が就任。
:同年1月18日、ニックネームをそれまでの「TOMAHAWKS(トマホークス)」が差別的意味合いがあることなどを考慮して'''「ORANGE(オレンジ)」'''へ変更した。<ref name=":1">[https://www.facebook.com/HoseiFootball/posts/1597885730238085:0 【ニックネーム変更のお知らせ】] 法政大学体育会アメリカンフットボール部、2017年1月18日</ref><ref name=":2">[https://www.facebook.com/HoseiFootball/posts/1599067050119953:0 【ニックネーム変更の経緯について】] 法政大学体育会アメリカンフットボール部、2017年1月19日</ref><ref>[[インディアン・マスコット]](wikipedia)</ref>。ユニフォームも一新<ref name=":4">[http://www.tomahawks-football.com/ 公式ウェブサイト]</ref>。
:同年5月、日本版[[NCAA]]も含めた「連携によるイノベーション」図る目的で、[[IBM BigBlue]]、[[リクシルディアーズ]]、東京大学ウォリアーズ、筑波大学エクスキャリバーズと共に[[スポーツイノベーションカンファレンス]](SIC)設立に参加<ref>[http://www.bigblue-football.com/topics_detail1/id=1012 SHINZO’S FILE Vol.4: スポーツイノベーションカンファレンス(SIC)]</ref>。
:同年は関東3位となり、第4回TOKYO BOWLで春の練習試合で敗戦した[[京都大学ギャングスターズ|京都大学]]と対戦し勝利(関東勢初勝利)。
 
== タイトル==
===[[甲子園ボウル]](東西大学王座決定戦 -2008)===