「海 (ドビュッシー)」の版間の差分

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{{External media
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| topic = 全曲を試聴する
| audio1 = [https://www.youtube.com/watch?v=k8NJRyfnYZ8 Debussy:La mer] - [[パーヴォ・ヤルヴィ]]指揮[[hr交響楽団]]による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
| audio2 = [https://www.youtube.com/watch?v=6UMfL8wMALg Debussy:La mer] - [[ユライ・ヴァルチュハ]]指揮hr交響楽団による演奏。hr交響楽団公式YouTube。
| audio3 = [https://www.youtube.com/watch?v=I-kZN97ir_4 DEBUSSY:La mer] - [[:en:Fabien Gabel|ファビアン・ガベル]]指揮[[デトロイト交響楽団]]による演奏。デトロイト交響楽団公式YouTube。
| audio4 = [https://www.youtube.com/watch?v=ogYtW1Yb5s4 Debussy:'La Mer, trois esquisses symphoniques pour orchestre'] - [[チョン・ミョンフン]]指揮[[フランス放送フィルハーモニー管弦楽団]]による演奏。[[ラジオ・フランス|France Musique]]公式YouTube。
| audio5 = [https://www.youtube.com/watch?v=SgSNgzA37To Claude Debussy:La Mer] - [[クラウディオ・アバド]]指揮[[ルツェルン祝祭管弦楽団]]による演奏。EURO ARTS([[レコードレーベル]])公式YouTube。
| audio6 = [https://www.youtube.com/watch?v=kxEMgHGrAPM Claude Debussy - La Mer] - [[エサ=ペッカ・サロネン]]指揮[[パリ管弦楽団]]による演奏。EURO ARTS(レコードレーベル)公式YouTube。
}}
{{Portal クラシック音楽}}
[[File:Debussy - La Mer - The great wave of Kanaga from Hokusai.jpg|right|210px|thumb|1905年に出版された『海』初版スコアの表紙]]
|[[File: alt1The Great Wave off = 葛飾北斎Kanagawa.jpg|right|210px|thumb|『冨嶽三十六景』から「神奈川沖浪裏」]]
 
《『''''''管弦楽のための3つの交響的素描'''(うみ、{{lang-fr|'''''La Mer''''', ''trois esquisses symphoniques pour orchestre''}} ){{Refnest|group="注"|副題にある''esquisses symphoniques ''については「交響的素描」のほか、「交響的スケッチ」「交響的エスキス」などと訳される。フランス語の「[[エスキース|エスキス]]」は絵画の用語で「完成前の段階」の作品を指し、その英語訳の「スケッチ」、日本語訳の「素描」とはニュアンスが若干異なる<ref name="井上15">井上さつき『ドビュッシーと絵画:複合芸術研究の試み』ミクスト・ミューズ:愛知県立芸術大学音楽学部音楽学コース紀要、2009年3月31日、{{NAID|120001059712}}</ref>。また、慣例的に《[[交響詩]]『海』》と呼ばれることもある<ref name="金子">金子健志編『200CD オーケストラの秘密-大作曲家・名曲のつくり方』立風書房、1999年8月20日、ISBN 4-651-82042-5、196頁</ref>。}}は、[[フランス]]の作曲家[[クロード・ドビュッシー]]が[[1903年]]から[[1905年]]にかけて作曲した[[管弦楽曲]]である。副題の付いた3つの楽章(第1楽章「'''海上の夜明けから真昼まで'''」-第2楽章「'''波の戯れ'''」-第3楽章「'''風と海との対話'''」(1. ''De l'aube à midi sur la mer''-2. ''Jeux de vagues''-3. ''Dialogue du vent et de la mer'' ))で構成されており、演奏所要時間は23分~24分<ref name="解説全集413">平島正郎『最新名曲解説全集第5巻-管弦楽曲II』(ドビュッシー『海』の項)、音楽之友社、1980年5月1日、413頁</ref>。<br />作品は、楽譜を出版した[[デュラン (出版社)|デュラン社]]の経営者[[ジャック・デュラン]](''Jacques Durand'')に献呈されている<ref name="解説全集413" />{{Refnest|group="注"|ドビュッシーは1905年[[7月18日]]に、今後作曲した作品を全てデュラン社から出版する専属契約を結んだ<ref name="伝記266">フランソワ・ルシュール 笠羽映子訳『伝記 クロード・ドビュッシー』音楽之友社、2003年9月10日、ISBN 4-276-13162-6、266頁</ref><ref name="音友6">マックス・ポンマー 寺本まり子訳 ポケットスコア『ドビュッシー:海』(はしがき)音楽之友社、1992年9月10日、6頁</ref>。}}。
 
== 着想 ==
|[[File: alt2Debussy and Stravinsky - photo by = Satie.jpg|right|210px|thumb|サティが撮影したドビュッシー(左)とストラヴィンスキー《1910(1910にサティが撮影》。部屋の後方に北斎の「神奈川沖浪裏」が飾られているのが見える。]]
{{multiple image
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| image1 = The Great Wave off Kanagawa.jpg
| alt1 = 葛飾北斎『冨嶽三十六景』から「神奈川沖浪裏」
| caption1 = 葛飾北斎『冨嶽三十六景』から「神奈川沖浪裏」
| image2 = Debussy and Stravinsky - photo by Satie.jpg
| alt2 = ドビュッシー(左)とストラヴィンスキー《1910年にサティが撮影》。部屋の後方に北斎の「神奈川沖浪裏」が飾られているのが見える。
| caption2 = ドビュッシー(左)とストラヴィンスキー《1910年に[[エリック・サティ|サティ]]が撮影》。部屋の後方に北斎の「神奈川沖浪裏」が飾られているのが見える。
}}
1905年にフランスで出版された『海』初版の[[総譜|オーケストラスコア]] {{Refnest|group="注"|1905年[[7月18日]]に出版され<ref name="松橋110">松橋麻利『作曲家◎人と作品-ドビュッシー』、音楽之友社、2007年5月10日、ISBN 978-4-276-22189-5、110頁</ref>、いくつかの手直しを経て同年11月15日に発売された<ref name="伝記270" />。}}の表紙デザインには、ドビュッシー自身の希望により、[[葛飾北斎]]の『[[冨嶽三十六景]]』の1つ「[[神奈川沖浪裏]]」(正確にはその左半分の大きな[[波]]の部分)が用いられた<ref name="伝記272">ルシュール、『伝記』272頁</ref>。
ドビュッシーは若い頃、後に [[オーギュスト・ロダン]]の妻となる[[カミーユ・クローデル]]と親しくしており、彼女から北斎の版画や日本美術についてレクチャーを受けたとされる<ref name="伝記120">ルシュール、『伝記』120頁</ref>。また、彼の自室には[[オディロン・ルドン]]の石版画やカミーユ・クローデルの彫刻などとともに北斎の「神奈川沖浪裏」が飾られていたとされ<ref name="伝記423">ルシュール、『伝記』423頁</ref>、実際にそのことを示す写真も残されている。
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== 初演 ==
[[File:Debussy - La Mer - The great wave of Kanaga from Hokusai.jpg|right|210px|thumb|1905年に出版された『海』初版スコアの表紙]]
作品の完成後、初演に向けてのリハーサルが始まるが、ドビュッシーは初演を担当する指揮者[[カミーユ・シュヴィヤール]]を全くといってよいほど信頼していなかった{{Refnest|group="注"|ドビュッシーは、ジャック・デュラン宛の1905年10月10日の書簡にて、シュヴァイヤールを「芸術家とは言いがたい人間<ref name="書簡集205">ルシュール、『書簡集』205頁</ref>」と評している。}}。また、オーケストラに配付されたパート譜には誤植が多く、ドビュッシーは本番直前まで間違った音の修正に追われるという有様であった<ref name="書簡集205" />{{Refnest|group="注"|ドビュッシーは初演の5日前の段階でも第2楽章のチェックが終わっていなかった<ref name="書簡集205" />。}}。
このような状態の中、1905年[[10月15日]]、[[パリ]]においてシュヴァイヤール指揮[[コンセール・ラムルー|ラムルー管弦楽団]]により『海』の初演は行われた{{Refnest|group="注"|当日のプログラムは、[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン|ベートーヴェン]]の[[交響曲第7番 (ベートーヴェン)|交響曲第7番]]、 [[ヴァンサン・ダンディ|ダンディ]]の『[[フランスの山人の歌による交響曲]]』、ドビュッシーの『海』、[[エクトル・ベルリオーズ|ベルリオーズ]]の『[[ローマの謝肉祭 (序曲)|ローマの謝肉祭]]』であった<ref name="伝記270">ルシュール、『伝記』270頁</ref>。}}。