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[[1970年]]、[[鈴木慶一]]は[[あがた森魚]]らと共に'''あがた精神病院'''を結成。後に'''あがた森魚と蜂蜜麺麭'''(はちみつぱい)と名前を変えるが、メンバーは一定せずロックバンドというよりは、あがた森魚のバックバンド的な活動を行っていた。バンドの名も、あがたが[[ビートルズ]]の「[[ハニー・パイ]]」(Honey Pie)から引用したものだった。これを前身として、[[1971年]]から'''蜂蜜ぱい'''と名乗り、あがたとは独立したロックバンドとしての活動を行うようになる。渋谷百軒店のライブハウスであるBYGへの出演を活動の中心に、[[岡林信康]]やあがた森魚、[[西岡恭蔵]]などのアルバムのレコーディングにも参加した。
 
1971年8月、鈴木慶一、[[渡辺勝 (音楽家)|渡辺勝]]、本多信介の3名で[[第3回全日本フォークジャンボリー]]に出演。これをきっかけに和田博巳が加入。1971年秋頃にはセッションを通じて武川雅寛が、オーディションにてかしぶち哲郎が加入し主要メンバーが出揃う。[[1972年]]春頃、表記を'''はちみつぱい'''に改めた<ref>1972年4月30日のヤング・インパルス出演時はまだ”蜂蜜ぱい”表記であった。出展:同日付神奈川新聞7面テレビ欄</ref>。1972年5月、[[春一番 (コンサート)|春一番コンサート]]に出演。1972年9月、渡辺勝が脱退し、これに入れ替わる形でペダルスティールの駒沢裕城が加入。ヴァイオリンの武川と共に、はちみつぱいのサウンドを独特なものとした<ref>メンバーの交代は鈴木慶一が関わった[[はっぴいえんど]]の楽曲背景、メンバーの言及は無いが[[ザ・バンド]]やあがた森魚のもたらした[[フェアポート・コンヴェンション]]の影響が楽曲アレンジ参考になっ。</ref>
 
[[1973年]]11月、ファーストアルバム『センチメンタル通り』を発売。続いて[[1974年]]5月にはシングル『君と旅行鞄(トランク)』を発売するも、1974年[[11月20日]]、[[山野ホール]]でのコンサートを最後に解散した。駒沢の失踪事件などをきっかけに、鈴木とメンバー間の音楽性の相違による不満が高まったのが原因の一つとされている。コンサートでの最後の曲は「塀の上で」。鈴木の最後の言葉は、「さよならロックンロール少年、ロックンロール少女」だった。メンバーのうち、鈴木、武川、かしぶち、岡田、椎名は後に[[ムーンライダーズ]]を結成した。