「安比高原スキー場」の版間の差分

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すると、すかさず江副は「チャンス到来」とばかりに、安比高原獲得に精力を集中させ、次第に[[林野庁]]や[[岩手県]]、青森営林局等で構成する安比地区管理運営協議会も江副を頼りにするようになった<ref name="seigi94">『正義の罠』p.94</ref>。江副はリクルートが安比高原にいかに全力を注ぎ込んでいるか示すために、[[1977年]]に経営が悪化していた「盛岡グランドホテル」を買収して、江副が信頼を寄せていた当時29歳の『住宅情報』編集スタッフだった[[高塚猛]]をホテルの総支配人に任命した<ref name="seigi94" />。
 
[[1980年]]10月、安比高原の総合開発を目指す「安比総合開発」がリクルート48%、[[北海道東北開発公庫]]20%、岩手県庁5%、他に地元自治体、マスコミ、[[岩手銀行]]なが出資して発足。社長には江副が就任した。開発計画面積は3500ヘクタールで、[[山手線]]内側3分の2の広さであり、住民はゼロの[[無番地]]だった<ref name="seigi95">『正義の罠』p.95</ref>。
 
だが、安比高原開発は[[東北農政局]]や林野庁の反対があり容易に進まなかった。そこでリクルートの幹部たちは、[[千田正]]岩手県知事に事業促進を働きかけるために何度も足を運んだほか、江副個人で千田の後援会に150万円、リクルートとして150万円の[[献金]]をした。