「ウォーリア (装甲艦)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
m 救済
103行目:
ウォーリアの[[博物館船]]への復元は1979年8月、まずその一時的な母港となるハートルプールの石炭ドックに向かう800マイル(1,287 km)の旅から始まった。ウォーリアはそこで主に海事トラストが拠出した800万ポンドの資金をかけて復元されるのである。ハートルプールには1979年9月3日に到着した。回復作業はまず、燃料突堤への転換の際に上甲板に流し込まれた分厚いコンクリートを含む80トンものゴミを除去することから始められた。その後8年をかけて、ウォーリアの甲板、内部区画、主機や木工品、什器類が復元され、または再作成された。またマストや索具、煙突なども再現され、[[船首像]]もオリジナル(1960年代に破壊された)の写真を手本に新たに削り出された。ウォーリアは1987年6月16日、ほぼ完全に復元された状態で、現在の場所であるポーツマスに到着した。
 
若返っ復元された装甲艦はウォーリアと改名されたが、当時[[ノースウッド]]にあったイギリス海軍の作戦司令部「HMSウォーリア」(現在の[[ノースウッド司令部]]と同立地)との混同を避けるため、正式名称は「'''ウォーリア (1860)'''」であとして区別される。
 
== 画像 ==