「ダニー・ブリント」の版間の差分

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==来歴==
=== 選手時代クラブ ===
アヤックスではキャプテンを務め<ref name="Toyota2"/>、チームの精神的支柱となるリベロ<ref name="Toyota2"/>、守備の要でありながら<ref name="Toyota2"/>、オーバーラップで攻撃もサポートした<ref name="Toyota2">TOYOTA CUP 1995 16回大会 パンフレット p.15</ref>。[[フランク・ライカールト|ライカールト]]の引退後は守備的MFでプレーすることもあった<ref name="Toyota"/>。また周囲からの信頼が厚く<ref name="Toyota2"/>、アヤックス時代の監督であった[[ルイ・ファン・ハール|ファン・ハール]]は「ACミランの[[フランコ・バレージ]]、当時レアルマドリードの[[ミカエル・ラウドルップ]]と同じ位の価値がある選手である。」と最大限の信頼を置いていた<ref name="Toyota">TOYOTA CUP 1995 16回大会 パンフレット p.22</ref>。
 
[[スパルタ・ロッテルダム]]を経て[[1986年]]に[[アヤックス・アムステルダム]]に移籍。アヤックスでは13年間プレー、ヨーロッパ三大タイトル([[UEFAチャンピオンズリーグ]]、[[UEFAカップ]]、[[UEFAカップウィナーズカップ]])や[[インターコンチネンタルカップ (サッカー)|トヨタカップ]]、オランダリーグ優勝など、多くのタイトル獲得に貢献した。また1995年開催のトヨタカップでは[[グレミオFBPA|グレミオ]]相手に好プレーを見せ、大会MVPに選ばれた。
 
1994年にはアヤックス契約が切れるブリントを獲得しようと、[[プレミアリーグ]]チームクラブ[[ガラタサライSK (サッカー)|ガラタサライ]]などが破格の条件で獲得を打診したが<ref name="Toyota"/>、新たに2年契約を結びチーム愛を示で残留した<ref name="Toyota"/>。
=== 代表 ===
 
長年オランダ代表にも名を連ねたが<ref name="Toyota"/>、同じポジションに[[ロナルド・クーマン]]が居たため出場は少なかったが<ref name="Toyota"/>、[[19941990 FIFAワールドカップ|94年の]]、
[[1994 FIFAワールドカップ]]にも参加した<ref name="Toyota"/>。ワールドカップ後30代半ばながら、クーマンの代表引退でようやくレギュラーとしてプレーする様になった<ref name="Toyota"/>、しかし代表監督の[[フース・ヒディンク|ヒディング]]かつて[[PSVアイントホーフェン]]時代に指導したクーマンに代表復帰を打診すると<ref name="Toyota"/>、それなら自分はもう代表でプレーしないと宣言した為<ref name="Toyota"/>、結局クーマンの代表復帰はなくなった<ref name="Toyota"/>[[UEFA EURO '96|96年のユーロ]]ではレギュラーとしプレーした。
 
=== 指導者 ===