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=== 戦中・戦後 - サルトル & ボーヴォワール 実存主義の拠点 ===
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この頃最初に常連となったのは[[シモーヌ・ド・ボーヴォワール]]であった。彼女は当時、処女作『招かれた女』を執筆しており、1943年にガリマール社から出版した。1941年に、兵役に服し、[[捕虜]]収容所に収容されたサルトルが病気のためにパリに戻ると、カフェはボーヴォワール、サルトルのほか、カミュ、[[レイモン・アロン]]、[[モーリス・メルロー=ポンティ]]ら実存主義哲学者の拠点となった。1943年2月に上演されたサルトルの『蠅』、6月に出版された『[[存在と無]]』は、その大半がカフェ・ド・フロールで書かれたものである。ただし、彼らはカフェ・ド・フロールと隣のドゥ・マゴを行き来し<ref name=":1" />、ほとんど丸一日、カフェで過ごしていた。サルトルは、朝9時から正午まで執筆をして、昼食に出て午後2時に戻ると友人と夜8時まで議論し、夕食後は前もって予定を入れていた打ち合わせを行うといった日課であった<ref>{{Cite web|title=Histoire - 1939-1945 : L’Occupation|url=https://cafedeflore.fr/histoire/|website=Café de Flore|accessdate=2020-01-14|language=fr-FR|publisher=|author=Sophie Fontanel|year=2005|month=12}}</ref>。
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