「NbFz (戦車)」の版間の差分

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1920年代後半から1930年代前半にかけて、欧米各国では、[[ジョン・フレデリック・チャールズ・フラー|フラー]][[大戦における戦車|理論]](重装甲大火力の重戦車を集中投入して敵の防御線を破砕し、防御線の穴から快速の軽戦車を中心とする機動部隊が後方へ進入、一気に戦争の決着をつけるという理論)に基づく、大型の車体に複数の砲塔を搭載した、敵防御線突破用の多砲塔重戦車の開発が流行していた。
 
ドイツでも[[1933年]]に、[[ドイツ国防兵器局]]が[[ラインメタル]]社と[[クルップ]]社に「グローストラクトーア」(Großtraktor、大型トラクター)(「ミッテルトラクトーア」(Mitteltraktor、中型トラクター)という異説あり)の開発を指示したことで、多砲塔戦車の開発が開始された。ドイツ軍は[[ヴェルサイユ条約]]のもとで戦車の保有が禁止されていたため、戦車の開発を秘匿するために「大型トラクター」という名称が用いられた。
 
なお、1920年代後半にも、同じ「[[グローストラクトーア]]」((Großtraktor、重トラクター)の秘匿名称で、ダイムラー・ラインメタル・クルップの各社2輌ずつ、計6輌の戦車が試作されている。NbFzにはそれらの設計・経験が生かされていた。
 
1932年7月13日、ドイツ[[陸軍兵器局]]第6課によって、NbFzの最初の開発指示が出され、同年10月12日、エッセンのクルップ社(エンジンを担当)と、ZF社(フリードリヒスハーフェン歯車製作所。変速・操向機の設計を担当)が、開発に参加することになった。
 
1932年10月15日、NbFzの仕様書(兵装は7.5cm砲と7.92mm機関銃4~5挺を装備(主砲塔に砲と機関銃、その前後に機関銃を装備する副砲塔)、戦闘重量は15t以下、装甲防御力は2cm砲に耐える程度、エンジンは出力250hpの空冷エンジン)がまとめられた。