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これらの設計は重戦車としての役割を果たすには複雑すぎ、信頼性の低いことが判明したものの、多砲塔戦車の設計技術向上のため、開発はその後も続行された。
 
1935年4月17日、2号車を基にした、防弾鋼製の車体にクルップ社製砲塔を搭載した実用試験車輌(増加試作車)が、ラインメタル社に発注され、[[1936年]]初めに3輌(3号車(Nr.3)、4号車(Nr.4)、5号車(Nr.5))が完成した。実用試験車輌の3輌は、[[シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン]]のプトロス演習場にて広範囲にわたってテストされた。しかしこの頃には、敵防御線突破用の多砲塔重戦車という概念自体が陳腐化し、また、[[IV号戦車]]の開発が優先されたことから、1936年末までにNbFzの開発は中止され、試作車全車が一旦は退役した。軟鋼製試作車輌の2輌は、1940年までプトロス戦車学校で訓練に使用された。
 
== 戦歴 ==