「ウクライナ・バロック」の版間の差分

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→‎特徴: ロシアの構成主義の成立にウクライナバロックは関係が無いと思われます。出典の明記も無かったため削除しました。
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=== 特徴 ===
ウクライナ・バロックは、西ヨーロッパのバロックに比べより控えめな装飾と簡素化されたフォルムに特徴付けられ、ときには[[ロシア構成主義|構成主義]]の先駆者と看做さることもある。多くのウクライナ・バロック建築はその後の度重なる戦災によって失われたが、それでも多くの建築が現在に残っている。有名なものとしては、[[キエフ]]の[[キエフ・ペチェールシク大修道院|キエフ洞窟大修道院]]、[[聖ソフィア大聖堂_(キエフ)|聖ソフィア大聖堂]]、[[ヴィードゥブィチ修道院]](ヴィードゥベツィクィイ・モナストィーリ)、[[聖ムィハイール黄金ドーム修道院]]がある。
 
ウクライナ・バロック[[絵画]]のもっともよい例として、キエフ洞窟修道院の[[三位一体大門教会]]の壁画がある。ウクライナ・バロックの時代には、[[版画]]芸術に急激な発展が見られた。[[象徴主義]]や[[アレゴリー]]、[[紋章学]]の記号や壮麗な装飾の複雑な体系が用いられた。