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元々の地名は、カプ・デ・ケルス(Cap de Quers)またはカプ・ダケス(Cap d'Aques)で、岩の岬を意味していた。
 
伝統的にカダケスは漁業の村として知られており、16世紀以降は特に有名であった。19世紀に製塩工場で有名が盛んになったが、製塩現在工場は現存し残っていない。過去にこれまでカダケス経済は観光に比重がなく、[[アンチョビ]]水揚げで成り立っていた。
 
カダケスの町て、周囲から隔絶していたことに、る土地柄が芸術家や観光客惹きつけられた。20世紀初頭から観光客がアクセスの容易な各地から集まり始め、その結果、手つかずなままに漁村の風景が維持されるようになる19561905以降は低温の影響で[[オリバルセロナ]]、[[フィゲラス]]栽培が断念されたが今日、オリ[[ジロブの木立はクレウス岬自然公園内の環境で(自然公園は自治体の重要な部分を占める)持続可能ナ]]経済一部として復興さ近郊都市から、人々が保養に訪てい。木立は一帯よう広がる山火事を防ぐ役割もするなった
 
画家[[サルバドール・ダリ]]は家族とともに過ごす夏の別荘をカダケスに所有しておりその別荘夏季には学生家族とともに同地を訪れ、詩人の[[フェデリコ・ガルシア・ロルカ]]も学生時代にそこを訪問しているその後戦時中、ダリは戦禍を避け[[ニューヨーク]]で暮らしたが1948年に帰国しカダケスの入り江のひとつ{{仮リンク|ポルト・リガ|en| Portlligat}}に移り住んだ。その他にカダケスに魅せられた人々には、[[パブロ・ピカソ]]、[[ジョアン・ミロ]]、[[モーリス・ボワトル]]、[[マルセル・デュシャン]]など同地に魅せられている。
1905年以降、[[バルセロナ]]、[[フィゲーラス]]、[[ジローナ]]など近郊都市からの家族連れが毎年カダケスで休暇を過ごすようになった。
 
1956年には低温の影響で[[オリーブ]]栽培が中止されたが、今日、オリーブ林はクレウス岬自然公園内の(自然公園は自治体の重要な部分を占める)運営可能な事業とされており、防火林の役割も果たしている。
画家[[サルバドール・ダリ]]は家族とともに過ごす夏の別荘をカダケスに所有し、その別荘には学生の[[フェデリコ・ガルシア・ロルカ]]が訪問した。その後ダリは戦禍を避け[[ニューヨーク]]で暮らしたが1948年に帰国し、カダケスの入り江のひとつポルリガートに移り住んだ。その他にカダケスに魅せられた人々には、[[パブロ・ピカソ]]、[[ジョアン・ミロ]]、[[モーリス・ボワトル]]、[[マルセル・デュシャン]]らがいる。
 
== 人口 ==