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|バックハンド=両手打ち
|デビュー年=1999年
|引退年=2020年
|ツアー通算=1勝
|シングルス=0勝
|ダブルス=1勝
|生涯通算成績=876勝605敗
|シングルス通算=482勝373敗
|ダブルス通算=394勝235敗
|生涯獲得賞金=$882,018
|全豪オープン=1回戦(2006)
|全仏オープン=1回戦(2005)
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|シングルス最高=84位(2005年8月22日)
|ダブルス最高=13位(2002年11月11日)
|更新日時=2012年11月8日
}}
'''藤原 里華'''(ふじわら りか、[[1981年]][[9月19日]] - )は、[[神奈川県]][[藤沢市]]出身の女子プロ[[テニス]]選手。
 
[[湘南工科大学]]附属高校卒業。[[北日本物産 (富山県)|北日本物産]]所属。身長155cm、体重52kg、右利き。フォアハンド・ストローク、バックハンド・ストロークとも両手打ち。これまでに[[女子テニス協会|WTA]]ツアーでシングルスの優勝はないが、ダブルスで1勝を挙げている。自己最高ランキングはシングルス84位、ダブルス13位。
 
== 来歴 ==
藤原里華は[[全日本テニス選手権]]出場歴もある父慎一と、同じくテニス選手・コーチであった母美智子というテニス一家に生まれ育った。[[1998年]]の全日本テニス選手権で、当時17歳の藤原は女子シングルス1回戦で第1シードの[[佐伯美穂]]を破る金星を挙げ、[[小畑沙織]]との準決勝まで勝ち進んだ。[[1999年]]5月にプロ転向。[[2001年]]から女子テニス国別対抗戦・[[フェドカップ]]の[[日本]]代表選手となり、それ以来シングルスで4勝3敗、ダブルスで8勝1敗の戦績を挙げている。同年に[[全日本テニス選手権]]女子シングルスで初優勝を果たす。
 
[[2002年]]の[[2002年全豪オープン|全豪オープン]]女子ダブルスで、藤原は[[浅越しのぶ]]とペアを組んで活躍し、[[マルチナ・ヒンギス]]&[[アンナ・クルニコワ]]組との準々決勝に進出した。同年の[[2002年全仏オープン|全仏オープン]]では[[杉山愛]]とペアを組み、第1シードの[[リサ・レイモンド]]&[[レネ・スタブス]]組との準決勝まで勝ち進んだが、1-6, 7-6, 2-6 で敗退した。この年は女子テニスツアーの年間最終戦、[[WTAツアー選手権]]のダブルス部門にも杉山とのペアで出場し、1回戦で[[ビルヒニア・ルアノ・パスクアル]]&[[パオラ・スアレス]]組を 6-4, 6-3 で破ったが、続く準決勝で[[エレーナ・デメンチェワ]]&[[ヤネッテ・フサロバ]]([[スロバキア]])組に 6-4, 5-7, 4-6 の逆転で敗れ、決勝進出を逃している。2002年度は[[女子テニス協会|WTA]]ツアーの女子ダブルスで「30勝12敗」の好成績をマークし、ダブルスの世界ランキング13位まで躍進した。
 
[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]の女子シングルスでは、藤原は[[2001年]][[全仏オープン]]から予選会に挑戦を続けているした。予選会は3試合を勝ち抜かないと本戦出場権を得られないが、初挑戦だった[[2001年全仏オープン|全仏オープン]]では、予選3回戦で敗れ本戦出場権を逃した。ようやく[[2005年]]の[[2005年全仏オープン|全仏オープン]]で宿願の4大大会本戦初出場を果たしたが、まだシングルスの初戦を突破したすることは出来かった。[[2005年全米オープン (テニス)|2005年全米オープン]]1回戦では、当年度の[[2005年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]優勝者[[ビーナス・ウィリアムズ]]に 3-6, 1-6 で完敗している。[[2006年全豪オープン]]初戦敗退の後、藤原は右手首の故障による長期欠場のため世界ランキングから外れ、2年半の間グランドスラム大会の本戦から遠ざかった。[[2008年ウィンブルドン選手権|2008年ウィンブルドン]]で久々にシングルスの予選会を通過し、3年ぶり2度目の本戦出場を決めたが、1回戦で[[カテリナ・ボンダレンコ]]([[ウクライナ]])に 6-1, 4-6, 3-6 で逆転負けした。
 
2011年の[[全日本テニス選手権]]では決勝で[[瀬間詠里花]]を 7-6, 6-4 で破り10年ぶり2度目の全日本選手権優勝を果たした。
 
2012年の[[イーボックス・オープン|デンマーク・オープン]]のダブルスで[[伊達公子|クルム伊達公子]]と組み決勝に進出。[[ソフィア・アルビドソン]]&[[カイア・カネピ]]組に 6–2, 4–6, [10–5] で勝利して30歳で初のWTA大会のタイトルを獲得した(これまで5回決勝に進出したがいずれも準優勝に終わっていた)。
 
2015年、若手選手の育成、日本テニス界を牽引するチームの育成、プロテニスプレーヤーの活動を団体一丸となって支えることを目的として、一般社団法人プロツアーチームジャパンを設立。2020年3月現役引退を発表した
 
== WTAツアー決勝進出結果 ==
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| 3.
| 2002年10月21日
| {{flagicon|AUT}} [[ジェネラーリ女子・レディース・リンツ|リンツ]]
| カーペット (室内)
| {{flagicon|JPN}} [[杉山愛]]
144行目:
| {{flagicon|DNK}} [[イーボックス・オープン|コペンハーゲン]]
| ハード<br/>(室内)
| {{flagicon|JPN}} [[伊達公子|クルム伊達公子]]
| {{flagicon|SWE}} [[ソフィア・アルビドソン]]<br/> {{flagicon|EST}} [[カイア・カネピ]]
| 6–2, 4–6, [10–5]
153行目:
{| class="wikitable"
|-
! 大会 !! 2001 !! 2002 !! 2003 !! 2004 !! 2005 !! 2006 !! 2007 !! 2008 !! 2009 !! [[2010年のWTAツアー|2010]] !! [[2011年のWTAツアー|2011]] !! [[2012年のWTAツアー|2012]] !! [[2013年のWTAツアー|2013]] !! 通算成績
|-
|style="background:#EFEFEF;"|[[全豪オープン]]
168行目:
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|-
216 ⟶ 213行目:
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|}
 
== 外部リンク ==
* {{Commonscat-inline}}
* {{WTA}}
* {{Fed Cup}}
* {{ITF}}
* {{JTA|60|藤原里華}}
* [httphttps://wwwrikapurin919.rikafujiwarawixsite.com/website 藤原里華公式ホームページ]
* [http://protourteamjapan.or.jp/ 一般社団法人プロツアーチームジャパン]
* {{Commonscat-inline}}
 
{{全日本テニス選手権女子シングルス優勝者}}