「品川勝島倉庫爆発火災」の版間の差分

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|time = 21時55分
|timezone =
|acres = 7500m²7,500平方メートル
|source = [[ニトロセルロース]]の発火・薬品への類焼
|landuse =
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[[1964年]][[7月14日]]21時55分頃、[[東京都]][[品川区]][[勝島]]1-4-18の[[寶組]]勝島倉庫で、敷地内に野積みされていた[[ドラム缶]]入り[[ニトロセルロース]]が発火、爆発。隣接する103号倉庫のニトロセルロースや105号倉庫の[[シンナー]]・[[ラッカー]]が次々に爆発・炎上。複数の消防署・出張所の[[火の見櫓|望楼]]勤務員から「火災発見」の第一報を受けた[[東京消防庁]]は、「火災同時第二出場」を指令、その後すぐに「火災第三出場」も指令した。そして22時50分頃には現場に到着した消防隊の「応援要請」の連絡を受け最高ランクの出場態勢である「火災第四出場」をも、初めて指令。これによりポンプ車など138台をはじめ、当時所有していた化学消防車22台全て、それと海側からは[[消防艇]]7隻など東京消防庁始まって以来の大規模な消防体勢を投入して消火活動に当たった。
 
最初の出火から約1時間後の23時頃、12号倉庫に'''無許可'''で保管されていたプラスチック硬化剤[[メチルエチルケトンパーオキサイド]](商品名パーメックN)が爆発。隣接する10号倉庫が崩壊し、外壁の下敷きになった[[品川消防署]]3名、[[大井消防署|大井]]・[[大森消防署|大森]]・[[蒲田消防署|蒲田]]・[[高輪消防署|高輪]]の各消防署員、および消防団員1名の計19名の[[ポンプ隊]]員が[[殉職]]した。道路を挟んだ現場指揮本部も吹き飛び、指揮を執っていた蒲田消防署長の他、指揮隊など100名以上の消防隊員が重軽傷を負った。同倉庫は20棟のうち10棟、7,500平方メートルが全焼し、約3時間半後の翌[[7月15日]]1時38分に鎮火した。現場は[[首都高速1号羽田線|首都高速羽田線]]と建設中の[[東京モノレール羽田線|東京モノレール]]に挟まれた一角で、[[首都高速道路]]は一時通行止めになった。
 
== 事故の背景 ==
保管されていたニトロセルロースは[[ダイセル|大日本セルロイド]]製で、[[1964年東京オリンピック]]を控えた当時は、[[塗料]]の原料としての需要が高まっていた。発生4日前の7月10日に大井消防署が査察に入った際に、危険物貯蔵許可を受けていた103号倉庫と105号倉庫以外の屋外にニトロセルロース(200kg(200キログラム入りドラム缶100本)を屋外に野積みしていたことから、警告を受けていた。
 
だが査察後も撤去しないばかりか保管量を増やし、火災当時は1,000本を超えるドラム缶が置かれていた<ref group="注">消火に当たった消防隊員には、大量のニトロセルロースが保管されていることは知らされていなかった。</ref>。発生数日前にサンプル作成のためにドラム缶の内容物の一部を取り出した際に再密封が不完全で、湿潤させていた[[アルコール]]が気化しニトロセルロースが乾燥したことが発火の原因と推定されている。また、12号倉庫には当初[[エンジンオイル|モーターオイル]]を貯蔵しているとされていたが、鎮火後に焼け跡からメチルエチルケトンパーオキサイドの容器の残骸が見つかり、無許可で貯蔵していたことが発覚した。この薬品は衝撃等でも爆発する感度の強いもので、事故後の東京都議会での参考人質疑の際に東京消防庁幹部は爆薬同様であると発言している。