「エリク9世 (スウェーデン王)」の版間の差分
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}}'''エリク9世聖王'''
=== 生い立ちと家族 ===
エリク9世は1120年にスウェーデンのヴェステルイェートランド地方で生まれた
エリクは20代後半頃にスウェーデン王[[インゲ1世 (スウェーデン王)|インゲ1世]]の孫娘で又従姉妹のクリスティーナと結婚した。さらに彼自身の外祖父が元スウェーデン王プロット・スヴェンというこれら二つの縁で地方の王位を継承した。これがのちに彼がスウェーデン王になる道を
=== 即位とその治世、スウェーデン国旗の由来 ===
1256年のクリスマスにスウェーデン王[[スヴェルケル1世 (スウェーデン王)|スヴェルケル1世]]が暗殺されスウェーデン王の座が空白となった。そんな中スウェーデン全土は新しい王の
そこで、地方の王であったエリクが支持を受け、即位した。エリクは王となってすぐに、北欧をキリスト教で固めるためにフィンランドに対する第一次[[北方十字軍]]を率い異教徒の制圧に向かい、勢力拡大を狙った。その遠征の際に目撃した「青空に浮かぶ金の十字架」がスウェーデン国旗のモデルとなった。第一次北方十字軍での活躍はローマ教皇の耳に届き、ローマ教皇はエリクの行いを評価した。エリクはローマ教皇という大きな後ろ盾を手に入れたのだ。このことを知ったエリクは、深く感謝し、息子の
===
1160年5月18日の朝、エリクはウプサラで礼拝を終えて城に帰るときにマグヌス・ヘンリクソン率いる軍勢に襲われ命を落とした(マグヌスはインゲ1世の曾孫で、スウェーデンの王位請求者だった。さらにこの暗殺には、先王スヴェルケル1世の子カール・スヴェルケルソンも加担していた)。こうしてマグヌスがスウェーデン王マグヌス2世として即位したが、彼も王位を狙うカール・スヴェルケルソン(英語版)に殺され王位を奪われた。
=== その後のエリク家 ===
エリク暗殺後、ローマにいたエリクの息子カヌートはスウェーデンに戻り、1167年にカール・スヴェルケルソンを殺し、王位を奪った。そして彼はスウェーデン王カヌート1世として即位して約29年間王として君臨した。その後もエリク家は1250年にエリク11世が死ぬまでスヴぇルケル家と競合しつつ断続的にスウェーデン王を出した。彼の子孫は女系で玄孫のヴァルデマール1世(スウェーデン王)を経て現在のデンマーク王室につながっている。
=== 子女 ===
エリクはインゲ1世の孫娘のクリスティーナと結婚して以下の子女をもうけた。
・カヌート(1150年-1196年)後のスウェーデン王カヌート1世。在位(1167年-1196年)
・フィリップ(?ー?)スウェーデン王クヌート2世の祖父といわれる。
・キャサリン(?ー?)スウェーデンの大貴族ニルスブレイクと結婚。
・マーガレット(?ー1202年)1185年にノルウェー王スヴェレと結婚。
== 注脚 ==
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<references />{{North-europe-stub}}
{{History-stub}}
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