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「マイアミ・バイス」の誕生については、『NBCの社長が「[[ヒルストリート・ブルース]]」の会議に出席しているとき、ふと"MTV Cops"という2つの単語がひらめいて紙ナプキンに走り書きした。そのメモは会議に同席していたアンソニー・ヤーコヴィックに手渡され「マイアミ・バイス」が誕生した…』という逸話が有名である。
この「NBCの社長」とは、当時NBCエンターテインメント部門の責任者に就いていたブランドン・タルティコフ
タルティコフは32歳の若さで
ヤーコヴィックが書いた"''Gold Coast''" はその後"'''''Miami Vice'''''"に改名され、パイロットフィルムの製作が決まった。エグゼクティブ・プロデューサーには[[マイケル・マン (映画監督)|マイケル・マン]](当時40歳)が抜擢された。これまでの映画やテレビドラマにおける優れた演出や脚本、中でも「[[ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー]]」(1981)、「[[ザ・キープ]]」(1983)で見せた映像表現、シンセサイザーを多用した音楽、銃撃やアクションシーンなどに見られる彼独特のセンスを取り入れたい意向があった。マンは初めて脚本を読んだときのことを振り返り、作品のコンセプトが非常に気に入ったことや、監督業は制約が多く自分の作品に対する自己批判が常に付きまとうがプロデューサーなら客観的な立場にあるので自分の意見が通りやすいだろうと考えたと語っている。承諾した理由として他にも直前の「ザ・キープ」の興行的な失敗もあったと考えられる。
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多額の製作費は劇中で流れる音楽にも表れている。新旧の様々なヒット曲の使用料にエピソード毎に1万ドル以上が支払われたほか、有名ミュージシャンを呼んで番組のために曲が作られたりもした。他にも数分間に渡ってセリフのない映像と音楽だけが流れるミュージックビデオのような演出や、本作のために作られた曲によるオリジナルサウンドトラックが発売されるなど、テレビドラマ初の試みが多数行なわれた。一部の新聞のテレビ欄にはサブタイトルと一緒に劇中で流れる曲のタイトルとアーティスト名が掲載され、過去にヒット作を送り出したミュージシャンやレコード会社にとっても格好の宣伝の場となった。
それまでのテレビドラマは主人公たちの言動を中心に描くものだったが、マイアミ・バイスが挑戦したのは背景に写る車や建物も主役の一部とし、音楽も
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