「特捜刑事マイアミ・バイス」の版間の差分

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オープニングのフイルムにはいくつかのバリエーションが存在しており、ヤン・ハマーの音楽と映像のみで構成された初期バージョン。キャステロ警部の声・[[青野武]]によるナレーションが入っているものにも映像が異なるバージョンがある。1990年代にサンフランシスコ市警察を舞台にした[[刑事ナッシュ・ブリッジス]]でドン・ジョンソンとフィリップ・マイケル・トーマスが共演するエピソードがある。2人の再会のシーンでは「マイアミ・バイス」の主題曲のイントロ部分が使われている。
 
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== 企画・製作 ==
=== 構想~製作 ===
1982年の[[ウォール・ストリート・ジャーナル]]に『アメリカで申告されない収入の20%が[[マイアミ・デイド郡]]に集中している』という記事が掲載された。脚本家・プロデューサーの[[アンソニー・ヤーコヴィック]]は数字の誤植かと思いながらも計算してみると、[[マイアミ]]だけでアメリカの平均的な都市の40倍の収入をもたらしているという結果が出た。この数字は麻薬に関わる犯罪組織の暗躍を意味すると理解した。
 
ヤーコヴィックはマイアミについて調査を始め、マイアミを舞台にした ”''Gold Coast''” という警察ドラマの脚本を書き始めた。実際にマイアミを訪れて[[おとり捜査]]をする刑事にヒアリングをすると、捜査には犯罪者から押収した品を使用していることを知った。[[アメリカ法|アメリカ連邦法]]によれば警察は犯罪に関わった個人の財産を押収でき、また犯罪防止の目的ならその押収品を使用できるとあり、ロレックスやアルマーニを身に付けフェラーリを乗り回す潜入捜査官のコンセプトに繋がった。
 
「マイアミ・バイス」が生まれた経緯としては、『NBCの社長が「[[ヒルストリート・ブルース]]」の会議に出席しているとき、ふと"MTV Cops"という2つの単語がひらめいて紙ナプキンに走り書きした。そのメモは会議に同席していたヤーコヴィックに手渡され「マイアミ・バイス」が誕生した…』という逸話が有名である。
 
この「NBCの社長」とは、当時NBCエンターテインメント部門の責任者に就いていたブランドン・タルティコフを指しているが、ヤーコビックによれば''”Gold Coast“'' の執筆を始めた頃はまだタルティコフと面識がなく、どこかの芸能記者が注目を集めようと考えた作り話だろうという<ref>{{Cite web|title=How Miami Vice launched the ’80s on TV, then died with its decade|url=https://tv.avclub.com/how-miami-vice-launched-the-80s-on-tv-then-died-with-1798232906|website=TV Club|accessdate=2020-02-18|language=en-us}}</ref>。
 
タルティコフは32歳の若さでエンターテインメント部門を任され、ヒット作([[ヒルストリート・ブルース]]、[[ファミリータイズ]]、[[コスビー・ショー]]、[[チアーズ (テレビドラマ)|チアーズ]]、[[ナイトライダー]]、[[ロー&オーダー]]、[[特攻野郎Aチーム]]、他多数)を次々に送り出し、低迷していたNBCを全米ネットワークのトップにのし上げた実力者であった<ref>{{Cite news|title=Brandon Tartikoff, Former NBC Executive Who Transformed TV in the 80's, Dies at 48|url=https://www.nytimes.com/1997/08/28/arts/brandon-tartikoff-former-nbc-executive-who-transformed-tv-in-the-80-s-dies-at-48.html|work=The New York Times|date=1997-08-28|accessdate=2020-02-23|issn=0362-4331|language=en-US|first=Bill|last=Carter}}</ref>。MTVについては、単なる音楽番組をゴールデンタイムに流してもドラマには対抗出来ないだろうと発言しており、さらにドラマと音楽のコラボレーションを示唆するような意見を発していたことから、MTVを強く意識していたことが窺える<ref>{{Cite web|title=How Miami Vice launched the ’80s on TV, then died with its decade|url=https://tv.avclub.com/how-miami-vice-launched-the-80s-on-tv-then-died-with-1798232906|website=TV Club|accessdate=2020-03-04|language=en-us}}</ref>。「マイアミ・バイス」にはミュージックビデオのような映像を作るために要する多額の製作費を許可していることから、“MTV Cops”の逸話はまったく的外れではないと言えよう。
 
ヤーコヴィックが書いた"''Gold Coast''" はその後"'''''Miami Vice'''''"に改名され、パイロットフィルムの製作が決まった。エグゼクティブ・プロデューサーには[[マイケル・マン (映画監督)|マイケル・マン]](当時40歳)が抜擢された。これまでの映画やテレビドラマにおける優れた演出や脚本、中でも「[[ザ・クラッカー/真夜中のアウトロー]]」(1981)、「[[ザ・キープ]]」(1983)で見せた映像表現、シンセサイザーを多用した音楽、銃撃やアクションシーンなどに見られる彼独特のセンスを取り入れたい意向があった。マンは初めて脚本を読んだときのことを振り返り、作品のコンセプトが非常に気に入ったことや、監督業は制約が多く自分の作品に対する自己批判が常に付きまとうがプロデューサーなら客観的な立場にあるので自分の意見が通りやすいだろうと考えたと語っている。承諾した理由として他にも直前の「ザ・キープ」の興行的な失敗もあったと考えられる。
 
当初はアンソニー・ヤーコヴィックもエグゼクティブ・プロデューサーとしての役割を担っていたが、次作の映画製作に取り掛かるため第6話で退き、その後はマイケル・マンに任された。しかしマイケル・マンが意欲的に取り組んだのはシーズン2までで<ref>{{Cite web|title=Behind the scenes of ''Miami Vice''|url=https://ew.com/article/2006/07/21/behind-scenes-miami-vice/|website=EW.com|accessdate=2020-03-23|language=EN}}</ref>、次作の「[[クライム・ストーリー]]」の製作に移ってしまった。
 
キャスティングにあたっては、ソニー・クロケット刑事の候補に映画俳優の[[ジェフ・ブリッジス]]、[[ゲイリー・コール]]、[[ニック・ノルティ]]、[[ミッキー・ローク]]、[[トム・ベレンジャー]]などの名前があったが、当時は映画俳優とテレビ俳優には明確な格差があったためこ彼らの案は却下された。パイロットフィルムの製作前のテストフィルムではゲイリー・コールがソニー・クロケット役を、[[ジミー・スミッツ]]がリカルド・タブス役を演じている。ジミー・スミッツはパイロットフィルムでエディ・リヴェラ刑事役を与えられ、これが彼のデビュー作品となった。他にも「[[白バイ野郎ジョン&パンチ]]」のラリー・ウィルコックスが挙がったが、彼は白バイ警官のイメージが定着している理由で断った。最終的に決まった[[ドン・ジョンソン]]も、過去に麻薬所持容疑で有罪判決を受けそれが原因でベトナム戦争の兵役を拒否された経歴があることや、それまで出演した4作品のテレビドラマが不調でシリーズ化に至らなかったため、製作側は彼を使うことに懐疑的だったという。しかし彼はこのドラマによって80年代を象徴するスターに成長し、「マイアミ・バイス」の代名詞とも言える存在となった。
 
ルー・ロドリゲス主任役の[[グレゴリー・シエラ]]はドラマが始まって早々の第4話で殉職という形で降板するが、治安の悪いマイアミでの長期滞在に耐えられなくなったのが理由だった。
 
製作費は1エピソードあたり約130万ドルと言われている。当時のテレビドラマ史上最高の額で、1エピソードだけでマイアミデイド警察・風俗取締班(Vice Squad)の年間予算を上回る額であった<ref>{{Cite web|title=Miami Vice / Trivia|url=https://tvtropes.org/pmwiki/pmwiki.php/Trivia/MiamiVice|website=TV Tropes|accessdate=2020-03-19}}</ref>。一般に警察ドラマは屋外ロケが多いため製作費が高めなのだが、本作ではロケ地の背景まで手が加えられた。マイケル・マンの指示により使用可・使用不可に分類されたカラーチャートが作られ、撮影スタッフは撮影現場に使用出来ない色があれば直ちに塗装するか、移動や撤去、またはカモフラージュするなどの作業に徹した。公衆電話や建物まで塗装してしまうほど大掛かりなものだった。マンは赤色や茶色を特に嫌っており、「フェラーリ(クロケット刑事のフェラーリ・デイトナのこと)なのになぜ赤じゃないのか?」と問われるたびに「赤い車は嫌いだ」と答えていたという。当時の彼の愛車、フェラーリ308GTBも黒だった。
 
多額の製作費は劇中で流れる音楽にも表れている。新旧の様々なヒット曲の使用料にエピソード毎に1万ドル以上が支払われたほか、有名ミュージシャンを呼んで番組のために曲が作られたりもした。他にも数分間に渡ってセリフのない映像と音楽だけが流れるミュージックビデオのような演出や、本作のために作られた曲によるオリジナルサウンドトラックが発売されるなど、テレビドラマ初の試みが多数行なわれた。一部の新聞のテレビ欄にはサブタイトルと一緒に劇中で流れる曲のタイトルとアーティスト名が掲載され、過去にヒット作を送り出したミュージシャンやレコード会社にとっても格好の宣伝の場となった。
 
=== 影響 ===
1980年代のはじめ、マイアミで発生する殺人事件は全米最多を記録し、全米平均の4倍を超えていた<ref>{{Cite web|title=The Miami Vice Effect {{!}} The Rake|url=https://therake.com/stories/icons/the-miami-vice-effect/|website=therake.com|accessdate=2020-03-23|language=en}}</ref>。全米に流通する違法薬物の40%がフロリダ半島を経由して密輸されており、密輸業者や密売組織の抗争が頻発する。またキューバを始めとする中南米からの不法入国や不法滞在者で溢れ、コカインを中心とする違法薬物が蔓延し、若者が街を去り高齢化が進んだ。シリーズ初期の屋外ロケのシーンで登場するたくさんの高齢者は、実際のマイアミの風景を写したものだった。1981年11月の[[タイム (雑誌)|タイム誌]]も"Paradise Lost?"<ref>{{Cite web|title=Thirty Years Later, Miami Vice&#039;s Impact Still Resonates|url=https://www.wlrn.org/post/thirty-years-later-miami-vices-impact-still-resonates|website=www.wlrn.org|accessdate=2020-02-28|language=en|first=Karen|last=Rundlet}}</ref>という表紙でマイアミの実情を報じるほどで、かつて栄えた高級リゾート地の面影は完全に失われていた<ref>{{Cite web|title=The Miami Vice Effect {{!}} The Rake|url=https://therake.com/stories/icons/the-miami-vice-effect/|website=therake.com|accessdate=2020-02-28|language=en}}</ref><ref>{{Cite journal|date=2020-03-15|title=Miami Vice|url=https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Miami_Vice&oldid=945732210|journal=Wikipedia|language=en}}</ref>。
 
地元の有力者たちはドラマの放映による更なる打撃を恐れ、”''VICE''”(悪徳、非合法、欠陥など悪い意味)という単語を使わないで欲しいと要求してきた。一部の市民からも、犯罪を助長するのではないかという不安、ヒスパニック系への人種偏見を懸念する声などが聞かれた。人々が不安視したのは「マイアミ・バイス」が始まる前年の1983年に公開された「[[スカーフェイス (映画)|スカーフェイス]]」の影響も大きい。「スカーフェイス」はコカインの密売で成功して破滅するまでのキューバ移民の男の物語で、マイアミは血の抗争の舞台として描かれた。
 
しかし、これらの批判的な意見を番組製作サイドはあまり気に留めなかった。わかりやすいストーリーと見映えがするカーチェイスや銃撃戦が見られれば、ほとんどの視聴者(特にテレビの視聴時間が長い男性を対象とする)は満足すると知っていたからである。この件についてはマイケル・マンも「[[刑事コジャック]]のせいでニューヨークの人口が減ったか?」とインタビューで名言している。またヒスパニックが多い街が舞台となれば、それだけ正しく生きる人々も描かれるということであり、人種偏見どころかかえって多くのファンを獲得する結果となり、放映が始まって1年足らずでマイアミでの視聴率は一位を記録した。
 
番組の影響は商品の売れ行きにも顕著に表れた。特に[[ドン・ジョンソン]]演じるクロケット刑事が使用するサングラス、ジャケット、シューズ、煙草、車、ボートなどあらゆるものが売れた。百貨店の[[メイシーズ]]は主人公らのファッションを安価に揃えられる「マイアミ・バイス セクション」という特設コーナーを開設、ボートメーカーのWellcraft社はドラマに登場するパワーボートと同じカラーリングを施した”Miami Vice Edition”を販売する。ドン・ジョンソンの無精髭が注目されれば[[:en:Wahl_Clipper|Wahl]]社は似たような剃り残しを再現できる電気シェーバー"Miami De Vice" を開発。訴訟を恐れ商品名を"Stubble Device"に変更して発売したが、あまり売上げは伸びなかった<ref>{{Cite web|title=The Miami Vice Effect {{!}} The Rake|url=https://therake.com/stories/icons/the-miami-vice-effect/|website=therake.com|accessdate=2020-03-04|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|title=Influence of Miami Vice|url=https://miamivice.fandom.com/wiki/Influence_of_Miami_Vice|website=Miami Vice Wiki|accessdate=2020-03-04|language=en}}</ref>。
 
 
 
ドラマがヒットすると同時にマイアミは再び脚光を浴び始める。1980年代にキューバやハイチなど中南米からの移民規制が緩和されたこともマイアミが注目され始めた要因の一つではあるが、多くの人々がドラマから刺激を受けたことは紛れもない事実であった。旅行会社にはマイアミのパンフレットが並び、ヨーロッパからも多くの観光客が訪れた。「マイアミ・バイス」のロケ地を巡る現地ツアーは人気があり、中でもたびたび撮影に使われた[[マイアミビーチ|サウスビーチ]]のアールデコ建築群は観光名所になった。
 
マイアミは再び富裕層が集まる都市として発展していき、高級ホテルや別荘、ナイトクラブやバー、ブランドものを扱うブティック、高級車ディーラーなどが市内に続々と展開するが、経済の活性化に最も貢献したのは皮肉にもコカインの流通に関わっているマフィアであった。
 
=== サウスビーチの復興 ===
アンソニー・ヤーコヴィックは脚本執筆のためマイアミを訪れた際、サウスビーチに並ぶ[[アール・デコ|アール・デコ様式]]の建築に強く惹き付けられた。サウスビーチの開発は1910年代に始まり、その後半世紀以上も[[フロリダ半島]]最大のリゾート地として繁栄していたが、やがて活気がなくなり1970年代頃になると治安の悪い薄汚れた街に変わり果てていた。そこには1930年代に建てられたアールデコ建築(マイアミ・デコとも呼ばれる)が数多く残っており、薄汚れた街に美しく豪華な建物が建ち並ぶギャップにヤーコヴィックは魅了されたのだった。放置されたままの空き家も多いため犯罪ドラマのロケーションとしても最適だった。
 
マイケル・マンはそれらの建物を「蒸し暑さの表現」として[[パステルカラー]]に塗るよう指示した。もともと建物にはカラフルな塗装はされておらず白っぽい単色の外壁だったが、ドラマが始まる2年前の1982年、ニューヨーク出身の一人のデザイナーがアールデコとパステルカラーの融合を提案した。この案はサウスビーチの復興を望む人々に受け入れられ徐々に広がりつつあったが、このパステルカラーによる美化運動はマンの行動によって急速に進んだ<ref>{{Cite web|title=フロリダ(2):マイアミビーチのMiMoデザインとパステルカラーパレット|url=https://medium.com/@katsura/%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%80-%EF%BC%92-%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%83%9F%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%81%E3%81%AEmimo%E3%83%87%E3%82%B6%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%A8%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%83%E3%83%88-96472c20b4bb|website=Medium|date=2019-05-13|accessdate=2020-02-23|language=en|first=Katsura|last=Onoe}}</ref>。またアールデコ建築の保存活動をしていたMDPL("Miami Design Preservation League" 1976年発足の非営利組織<ref>{{Cite web|title=Home|url=https://www.mdpl.org/|website=Miami Design Preservation League|accessdate=2020-02-23|language=en-US}}</ref>)と協力し合うことで、「マイアミ・バイス」はサウスビーチの美化と歴史的建築物の保存に貢献する功績を残した。
 
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== 出演 ==
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: 演 - [[シーナ・イーストン]] / 声 - [[榊原良子]] 劇中ではシンガー役。ソニーの恋人として登場。
: シーズン4第8話「Like a Hurricane」でソニーと知り合い恋仲になり結婚をする。しかし、シーズン4第21話でソニーの因縁のある敵に殺害されてしまう。その時彼女はソニーとの子供を授かっていた。
:
 
== エピソード ==
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*{{Note|note_3}}3 このエピソードにおいては続編の可能性が示唆されてる。
*{{Note|note_4}}4 このエピソードは児童の性的虐待が描かれていたため[[NBC]]の本放送時に放送されず、シリーズ終了から半年後に[[USA Network|ケーブル局]]での再放送時に放送された。
 
 
== ソニーのフェラーリ・デイトナ・スパイダー ==
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全長38.8フィート、575馬力のマークルーザー製エンジン×2基、最高速度は時速約100キロ。モデル名のKVはケブラー製の船体を、38は全長を表す。[[スカラベ]]とは直訳すると「フンコロガシ」だが、古代エジプトで太陽を司る神の遣いと考えられた甲虫のこと。
 
シーズン2~5で使用。撮影には4種類ないし5種類のスカラベが使われている。それぞれの違いはカラーリング、エンジンフードの形状、キャビン入口のドアの形状、マウントアーチに取り付けられた2つの前照灯の有無などである。主演の[[ドン・ジョンソン]]が所有するスカラベも数回登場している。シーズン4 第14話「冷血の殺人兵器密輸機関を叩け」”Baseballs of Death”のチェイスシーンでは、フィルムの使いまわしによりシーズン1のスティンガー390Xも散見される<ref>{{Cite web|title=Wellcraft Scarab 38 KV|url=https://miamiviceonline.com/index.php?/topic/10384-wellcraft-scarab-38-kv/|website=The Miami Vice Community|accessdate=2019-11-07|language=en-US}}</ref>。
 
ドラマのおかげでウェルクラフト社には注文が殺到し、同社はドラマと同じカラーリングを施した「KV38マイアミバイス エディション」を発売した。100艇ほどが販売されそのうちの1艇がドン・ジョンソンに進呈された。こちらのKVという名は、ウェルクラフトの社長でスカラベの設計者でもあるラリー・スミス氏率いる"KAAMA Racing"と"Vice"の頭文字から取っているという説もある<ref>{{Cite web|title=Miami Vice Boat – ICONIC PREMIER|url=http://www.iconicpremier.world/miami-vice-boat/|accessdate=2019-11-07|language=en}}</ref>。