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=== 兎園会と耽奇会 ===
兎園会に先立ち、文政7年(1824年)5月15日から山崎美成が中心となり、珍奇な古書画や古器物を持ち寄って交渉考証を加える[[耽奇会]]という集まりが開催されていた<ref name="ndl-ex60-2kenbun"/>。耽奇会には曲亭馬琴・屋代弘賢らのメンバーが参加していた(このほか[[谷文晁]]など)<ref name="ndl-ex60-2kenbun">{{cite web|url=https://www.ndl.go.jp/exhibit60/copy2/2kenbun.html|title=見聞の記録|work=[https://www.ndl.go.jp/exhibit60/index.html 国立国会図書館開館60周年記念貴重書展 学ぶ・集う・楽しむ]|publisher=国立国会図書館|accessdate=2020-2-2}}</ref>。耽奇会は翌文政8年11月13日まで20回にわたり開催され、『[[耽奇漫録]]』がまとめられている<ref name="ndl-ex60-2kenbun"/>。
 
耽奇会に出品された「大名慳貪(だいみょうけんどん)」という道具([[倹飩|けんどん箱]]の豪華なもの)の「[[慳貪]](けんどん)」という語をめぐり、中心メンバーである美成・馬琴が書簡で激しく論争し<ref name="ndl-ex60-2kenbun"/>([[けんどん争い]]<ref name="shibata-kendon">{{cite web|url=http://www.shibatashoten.co.jp/dayori/2010/08/10_1148.html|title=料理本のソムリエ vo.7 ジャパン・クール“DONBURI”|work=編集部だより|publisher=柴田書店|accessdate=2020-2-2}}</ref>)、両者は文政8年3月に絶交するに至った<ref name="ndl-ex60-2kenbun"/>。