「ヨハン・レオポルト・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ」の版間の差分

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ザクセン=ゴーブルク=ゴータ公[[カール・エドゥアルト (ザクセン=コーブルク=ゴータ公)|カール・エドゥアルト]]とその妻で[[グリュックスブルク家|シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公]]女[[ヴィクトリア・アーデルハイト・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク|ヴィクトリア・アーデルハイト]]の間の長男(第1子)として生まれた。
 
[[第一次世界大戦]]中の1917年に父がイギリスの{{仮リンク|[[オールバニ公爵|en|Duke of Albany}}]]位を剥奪され、さらに1918年の[[ドイツ革命]]で君主制が廃止されたため、どちらの爵位も継承することは出来なかった。
 
1932年3月9日に[[ドレスデン]]の{{仮リンク|ニーダーゼトリッツ|de|Niedersedlitz}}において、フェオドラ・フォン・デア・ホルスト男爵夫人({{Lang|de|Feodora Freiin von der Horst}}, 1905年 - 1991年)と結婚した。この結婚は{{仮リンク|帝国伯|en|Imperial Count}}({{Lang|de|Reichsgraf}})以上の家柄との対等結婚の規定を定めたコーブルク公家の家内法に背いた[[貴賤結婚]]であり、ヨハン・レオポルトとその子孫は公爵家の家督相続権を剥奪された。フェオドラとは1962年に離婚し、翌1963年5月3日に平民のマリア・テレジア・ライントル({{Lang|de|Maria Theresia Reindl}}, 1908年 - 1996年)と再婚した。