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| ウェブサイト = https://www.nittai.ac.jp/
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== 概要 ==
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幻となった[[1940年]](昭和15年)[[1940年東京オリンピック|東京オリンピック]]には多くの在校生(日本代表選手・競技役員・補助員「[[ボランティア]]」等)の参加が見込まれていたが、戦争の勃発は「敵性スポーツ」を悉く禁止に追い込んだ。いつしか「[[体育]]」も「[[学校教練|軍事教練]]」に名を変え、在校生の多くが戦地に倒れていった(戦死學生の碑、日體生「戦死400名弱」-学徒の碑が本部世田谷深沢キャンパス西に有る)。この過去を忘れることなく第二次大戦後の[[1949年]](昭和24年)、「民主体育」をスローガンに'''日本体育大学'''が開学した。
 
 日体大はオリンピックと日本で最初に折衝を持った大学としても知られている。體操練習所が開設されたのは、国際オリンピック委員会(IOC)が結成された1894年のちょうど1年前。第2回のオリンピック競技大会がパリで開催されたのは1900年である。その年のオリンピック総会(当時、万国体育会議、今のIOC総会)に、日本代表として招待されたのが日本體育會體操練習所(現日体大)だった。以来、日体大はオリンピックと深い関係を保ちながら日本のスポーツの振興に貢献し、今に至っている。
 
=== 建学の精神 ===
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2013年9月に行われた[[第68回国民体育大会|東日本大震災復興支援 スポーツ祭東京2013]](第68回[[国民体育大会]]兼第13回[[全国障害者スポーツ大会]])の総合開会式で、応援パフォーマンスとして「エッサッサ」が演じられた<ref>東日本大震災復興支援 スポーツ祭東京2013 第68回国民体育大会総合開会式プログラム</ref>。
 
過去、学校の体育祭プログラムで定番だった[[組体操|組体操(組み立て体操)]]・[[騎馬戦]]・[[棒倒し]]などが、重大な怪我の発生などにより、プログラムからなくなりつつあるが、そうした中、地域に拠っては怪我の少ないエッサッサ・集団行動が再び見直されプログラムに組み込まれることがある<ref>伝統の[[防衛大学校]]生に拠る棒倒し(第一回開校祭より)は、現在も脈々と継承されている</ref>。
 
==== 集団行動 ====
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** 日体レスリング会館(レスリング部合宿所)
玄関横には日本レスリング界の父「[[八田一朗]]」の銅像が建てられている。
** 日体大柔道部克己寮(柔道部合宿所)
 
==== 菅平実習場 ====
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* [[国立パラツキー大学]]([[チェコ共和国]])
* [[国立カンピーナス大学]]([[ブラジル]])
* [[国立体育大学]]([[台湾]])
 
=== 日朝交流 ===
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== 附属施設 ==
* [[日本体育大学クリニック]]
 
== 脚注 ==