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'''グスタフ・ツォイナー'''(Gustav Anton Zeuner、[[1828年]][[11月30日]] - [[1907年]][[10月17日]])はドイツの物理学者、工学者である。熱力学を用いて、機関車の理論を作った。
 
== 人物・生涯 ==
[[ザクセン州]]の[[ケムニッツ]]に生まれた。ケムニッツの王立職業学校(Chemnitz Konigliche Gewerbeschule、現在の[[ケムニッツ工科大学]])で工学を学んだ。1848年から[[フライベルク鉱山学校]]で、鉱物学者Albin[[ユリウス・ワイスバッハ]](Albin Julius WeisbachWeisbach)のもとで鉱物学と金属学を学んだ。
 
ドイツ各地で広がった[[1848年革命]]がドレスデンに波及した時に革命に参加し、多くの仲間が死刑になり、刑務所に送られたのに対して、ツォイナーは釈放された。卒業し、1853年に[[ライプツィヒ大学]]で博士号をとることはできたが、ザクソンで教職につくことは禁止された。
 
1853年に力学の工学雑誌"''Der Civilenginieur. Zeitschrift fur das Ingenieurwesen''"の編集者となりチューリッヒに移住した後の1857年まで編集者を続けた。1855年に[[チューリッヒ工科大学]]の教授となり、有名な工学者[[フランツ・ルーロー|フランツ・リューロー]](Franz Reuleaux)と働いた。Richard[[リヒャルト・ワーグナー]](Richard WagnerWagner)らのドレスデンの革命家たちもチューリッヒに亡命していた。
 
ツォイナーはチューリッヒで1858年に蒸気機関車の模型をつくったが、理論に興味を移し、設計の改善を行うことはなかった。1869年に人口を表すのに、ツォイナー図と呼ばれる3次元グラフを作った。これは[[ヴィルヘルム・レキシス]]が改良を加え、レキシス図とよばれる事となった。