「音楽図鑑」の版間の差分

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* [[イエロー・マジック・オーケストラ|YMO]]散開後に発売され、ソロアルバムとしては4作目に当たる。
* それまでのはっきりしたコンセプトに基づいて作成する方法とは異なり、スタジオに入って何の先入観なしに出てくるものを記録していく手段を取った。坂本は「シュールレアリズム的な自動筆記」「羅針盤も海図もなしに海に乗り出して何が起こるかっていう冒険」とコメントしている<ref name="KB2015">『[[キーボード・マガジン]]2015年4月号 SPRING』より。</ref>。
* [[1982年]][[10月24日]]から始められたレコーディングは、[[1984年]][[8月23日]]のCDマスタリングが終了するまで1年8か月を要している。この期間、映画YMOアルバム『[[浮気なぼくら]]』『[[ントラ、ーヴィス (YMOのアルバム)|サーヴィス]]』[[大貫妙子]]アルバム『[[シニフィエ (大貫妙子アルバム)|シニフィエ]]』、矢野顕子のアルバム『[[オーエス オーエス]]』などプロデュースの他、YMOの散開ツアーなども行っているため、レコーディングが一時中断した。1984年4月から再開したが、この時から[[シンセサイザー]]「[[フェアライトCMI]]」を使用することになった。「この楽器からインスパイアされるところが随分あり、前半やっていたことの工事というか、作り直しに掛かった」と坂本はコメントしている<ref>OTONANO『音楽図鑑』発売記念対談 藤井丈司×滝瀬茂より。http://www.110107.com/s/oto/page/ryuichi_sakamoto_analog?ima=5223" name="KB2015OTONANO"</ref>。
* 1984年4月から再開したレコーディングでは[[シンセサイザー]]「[[フェアライトCMI]]」を使用することになった。「この楽器からインスパイアされるところが随分あり、前半やっていたことの工事というか、作り直しに掛かった」と坂本はコメントしている<ref name="KB2015"/>。フェアライトが届いた日は1984年4月13日、サンプリングしていった日が4月24日であることを坂本のマネージャが日誌をつけている<ref name="OTONANO"/>。
*レコーディングにはフェアライトCMIの他、[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5|プロフェット5]]、Emulator<ref>途中からEmulatorⅡに変更している</ref>、[[ヤマハ]][[ヤマハ・DXシリーズ|DX7]](初期型)、Jupiter-4<ref name="KB2015"/>も使用された。
<!--* LPレコードA面(「SELF PORTRAIT」まで)がYMO散開以前にレコーディングされたもの、B面(「旅の極北」以降)がそれ以降にレコーディングされたものである。-->