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そんな中、親友・宋江が罪を犯し逃亡中であることを知ると、自分の館に来るよう誘い宋江を歓待した。ところが、元宵節(旧の正月十五日)の祭の夜、宋江は劉高の妻に山賊の首領として誣告され捕らえられてしまう。実は宋江と劉高の妻は偶然にも、同時期に清風山の[[燕順]]らに捕らえられており、宋江は燕順に掛け合い女を解放させたが、女はこれを仇で返したのだった。これに激怒した花栄は、正論を説いて宋江の引渡しを劉高に要求するが拒否されたため、力ずくで宋江を奪い、追っ手も弓で威嚇し追い返した。しかし劉高の奸計に嵌って武官の[[黄信]]に宋江や家族共々捕えられ、青州へ護送されるところ、燕順らによって解放される。花栄は護送隊に従軍していた劉高を斬殺し、朝廷に刃向かうこととなった。その後、討伐に派遣された[[秦明]]を悪辣な計略にかけて破り、黄信ともども説得して仲間に加え、清風塞を襲撃、家族を救出し元凶である劉高の妻を斬った。そして本格的な討伐に清風山では耐え切れないと考え、宋江のつてで梁山泊に合流する。
 
紆余曲折の末、宋江が梁山泊入りすると、入山の祝宴で[[晁蓋]]らに自分は弓の名手であると自慢したが、花栄の弓の腕前が半信半疑であった晁蓋らはそれを真に受けなかった。そのことに彼の自尊心は激高し傷付けられた。数日後、花栄は山塞のふもとの江水で「どなたか弓矢を拝借願いたい」と述べ、「あそこに三羽の[[雁]]がおります。私は三番目の雁を射止めましょう」と宣言して見事に射止め、その腕前を披露した。これ以降、晁蓋らは花栄を評価し、[[春秋時代]]の[[楚 (春秋)|楚]]の武将[[養由基]]と比較されて「神臂将軍」と呼称された。
 
その後は宋江を補佐する副司令官的立場を担い、祝家荘戦で敵の伏兵の合図の提燈を打ち落としたり、強敵に苦戦する味方を弓で援護して救うなど活躍する。百八星集結後は騎兵軍八虎将兼先鋒使の筆頭を務める。特に招安の使者が梁山泊を訪れた際は無礼な態度に怒りこれを射殺するなどした。帰順後も[[田虎]]征伐で敵将3人を立て続けに射殺し、[[方臘 (水滸伝)|方臘]]戦では強敵・[[トウ元覚|鄧元覚]]を倒す大手柄を上げた。