「日本製鉄九州製鉄所」の版間の差分

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八幡地区、八幡地区(光チタン)、大分地区(大分)及び大分地区(光鋼管)に分かれており、それぞれの所在地は次のようである。
 
* 八幡地区 〒804 -8501  福岡県北九州市戸畑区飛幡町1番1号
大分* 八幡地区(光鋼管チタン) 〒743 -8510  山口県光市大字島田3434番地
 
八幡* 大分地区(光チタン大分) 〒743 -8510 山口 大分大分市大字島田3434西ノ洲1番地
* 大分地区(大分光鋼管) 〒870 -0992 大分 山口大分市大字西ノ洲1島田3434番地
 
大分地区(大分) 〒870-0992 大分県大分市大字西ノ洲1番地
 
大分地区(光鋼管) 〒743-8510 山口県光市大字島田3434番地
 
[[ファイル:140721 Yawata Steel Works from RRH Kitakyushu Japan01s3.jpg|thumb|right|八幡製鉄所]]
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== 概要 ==
[[ファイル:Higashida First Blast Furnace.JPG|thumb|right|東田第一高炉跡。「1901」は操業開始の[[1901年]]を表す]]
八幡地区は、[[1901年]]([[明治]]34年)の[[明治時代]]に操業を開始した官営の[[製鉄所]]を前身とする。[[1887年]](明治20年)から操業を続ける[[釜石鉱山田中製鉄所]]に続き、日本国内で2番目の製鉄所であった。第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所であった。[[1934年]]([[昭和]]9年)には官営製鉄所が中心となって民間業者と合同して[[日本製鐵]](日鉄)が発足。戦後の[[1950年]](昭和25年)に日鉄は解体され八幡製鐵所は[[八幡製鐵]]に属すが、[[1970年]](昭和45年)の八幡製鐵と[[富士製鐵]]の合併による[[新日本製鐵]](新日鉄)発足に伴い、同社の製鉄所となった。
 
[[2012年]](平成24年)10月、新日鉄と[[住友金属工業]]の合併による[[新日鐵住金]]発足に伴い、同社の製鉄所となる。
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北九州市[[戸畑区]]の戸畑地区(旧・戸畑構内)、[[八幡東区]]の八幡地区(旧・八幡構内)と、旧小倉製鉄所にあたる[[小倉北区]]の小倉地区に分かれている。主要な設備や総合センター(旧・本事務所)は戸畑地区に存在する。
 
戸畑・八幡両地区は、約6km6 km([[キロメートル]])の[[専用鉄道]]([[日本製鉄八幡製鉄所くろがね線|くろがね線]])で繋がる。
 
[[鉄鉱石]]を原料に[[銑鉄]]を製造する、製鉄所の中心設備である[[高炉]]は戸畑構内にある。現在では炉内容積4,250[[立方メートル|m<sup>3</sup>]]の戸畑第4高炉のみ操業している。かつては八幡の東田・洞岡にも高炉があった。銑鉄を[[製鋼]]し粗鋼とする[[転炉]]は2基あり、粗鋼を鋼片に[[鋳造]]する[[連続鋳造|連続鋳造設備]]は3基稼動する。これらの製鋼工程も戸畑構内で行われる。
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* [[日鉄精鋼]]
* 大信線材
 
 
== 関連項目 ==
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* [[2011年]](平成23年)4月1日 - 鋼管事業部光鋼管部が大分製鐵所に統合され、大分製鐵所「光鋼管工場」に改称<ref>{{PDFlink|[http://www.nsc.co.jp/news/data/20110314135748_1.pdf 「平成23年4月1日付組織改正について」]}}、平成23年3月14日付新日鉄ニュースリリース、2011年4月1日閲覧</ref>。
* [[2020年]] (令和2年) 4月 - 日本製鉄九州製鉄所大分地区となる予定。
 
 
== 関連項目 ==