「ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー」の版間の差分

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== 影響 ==
フローベルガーの作品は、生前にはほとんど出版されなかったが、写本としてヨーロッパ各地で広く受容されており、当代のもっとも有名な作曲家の一人であった。そしてフローベルガーは各地を旅し、またそれぞれの土地の様式にあわせた作曲法に長けていたために、他の[[ヨハン・カスパール・ケルル]]等のコスモポリタン作曲家と同様、ヨーロッパ各地の音楽伝統の交流に大きく貢献した。同時代の作曲家はみな、多かれ少なかれフローベルガーの影響を受けており、[[18世紀]]に入っても彼の作品は演奏されていた。
 
彼の影響を受けた作曲家としては[[ルイ・クープラン]]、[[ゲオルク・ベーム]]、[[ディートリヒ・ブクステフーデ|ブクステフーデ]]や[[ヨハン・パッヘルベル|パッヘルベル]]をあげることができる。また現在ではより知名度の低い[[フランソワ・ロベルデ]]や[[ヨハン・カスパール・フェルディナント・フィッシャー]]にも、フローベルガーからの借用が認められる。[[ヨハン・ゼバスチャン・バッハ]]もフローベルガーの影響を受けているが、その程度は大きくない。[[平均率クラヴィーア曲集]]のフーガには、フローベルガーのリチェルカーレ4番(FbWV 404)からモチーフを借用したものがあることが知られているが、これはフローベルガーの作品に直接拠ったのではなく、平均率クラヴィーア曲集作曲の20年ほど前に出版された、フィッシャーの『アドリアネー・ムジカ』から採ったのではないかとも言われている。
フローベルガーは、[[ディートリヒ・ブクステフーデ|ブクステフーデ]]や[[ゲオルク・ベーム]]、[[ヨハン・パッヘルベル|パッヘルベル]]に影響を与えており、[[バッハ]]作品にもある程度の影響が認められる。
 
== 参考文献 ==
*Jean-Marc Warszawski, "Froberger Johann Jakob 1616-1667," ''Références / musicologie.org'' ([http://www.musicologie.org/Biographies/f/froberger_johann_jakob.html]), 2005.9.25. (Last accessed 2006.9.15)
 
== 外部リンク ==
* [http://icking-music-archive.org/ByComposer/Froberger.html Werner Icking Music Archiveのフローベルガーの項]
* [http://www.sheetmusicfox.com/Froberger/ SheetMusicFoxのフリー楽譜]
 
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[[Category:バロックの作曲家|ふろおへるかあ]]
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[[Category:17世紀の音楽家|ふろおへるかあ]]
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== 参考文献 ==
*Jean-Marc Warszawski, "Froberger Johann Jakob 1616-1667," ''Références / musicologie.org'' ([http://www.musicologie.org/Biographies/f/froberger_johann_jakob.html]), 2005.9.25. (Last accessed 2006.9.15)
 
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