「WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005」の版間の差分
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'''WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005'''(レッスル
[[2002年]]から[[2003年]]に開催された[[K-1]]主催のプロレス興行「[[ファンタジーファイトWRESTLE-1]]」や、[[2013年]]に設立されたプロレス[[団体]]「[[WRESTLE-1]]」、及び同団体が開催するトーナメント戦「[[WRESTLE-1 GRAND PRIX]]」などとは全くの別[[企画]]
== 歴史 ==
=== 開催までの経緯 ===
[[2005年]]1月、[[新日本プロレス]]執行役員の[[上井文彦]]が新日本を退社して個人事務所「[[ビッグマウス]]」を設立。上井はかつてから懇意にしていた、K-1を
当初は4月に[[横浜アリーナ]]で開催することを発表していた。「絶対に地上波中継を付けたい」という上井の意向から当時、WRESTLE-1と同時進行で、ビッグマウスとFEGの協賛となっていた[[総合格闘技]]イベント・[[HERO'S]](後にビッグマウスは撤退してFEG単独興行となった。前田だけはスーパーバイザーとして残っている)を中継していた[[TBSテレビ|TBS]]などと掛け合うも、不調に終わったことから延期となった。
=== 開催 ===
「プロレス界のナンバーワンを決めるトーナメント」
さらに[[ミル・マスカラス]]、[[テリー・ファンク]]のスペシャルマッチ<ref>第1試合。この試合を観戦した前田は「流石。老獪な動きで会場を温めさせていた。素晴らしい」と当時受け持っていたコラムで語っている</ref>での参戦が決まり、[[8月4日]]に[[両国国技館]]で開催した。テレビ局との交渉は不調に終わり、結局[[ペイ・パー・ビュー|PPV]]チャンネルでの中継となり、開催1か月後からは[[USEN]]が展開するインターネットテレビ「GyaO」で配信された。秋山の試合だけは[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[プロレスリング・ノア中継]]で放送された。公称観客動員数は10,500人で、ムタ、健介、サップ、秋山、諏訪間、天龍が2回戦に進出した([[鈴木みのる]]、[[エディ・ファトゥ|ジャマール]]はシード選手。天龍は進出を辞退)。
[[10月2日]]、第2戦を[[国立代々木競技場]]で開催。主催者発表の観客動員数は8,012人と、両国国技館よりもキャパシティの大きな会場であったもののカード的にもインパクトに欠けたため満員には出来なかった。スペシャルマッチには[[ドリー・ファンク・ジュニア]]、[[ジャイアント・キマラ|ジャイアント・キマラII]]、[[アブドーラ・ザ・ブッチャー]]が出場。谷川、サップが[[プロレスリング・ノア]][[日本武道館]]大会を観戦して[[三沢光晴]]と対面した曙もノア事務所を訪ねて三沢と面会するなどノアに全面協力を依頼。その結果、三沢が[[小川良成]]とタッグを組み曙&[[チャールズ・スキャッグス|スコーピオ]]組と対戦するスペシャルマッチが実現。トーナメント2回戦はムタ対健介、サップ対秋山、みのる対諏訪間、ジャマール対[[ドン・フライ]](天龍の代打)が行われ、ムタ、サップ、みのる、ジャマールが勝ち上がった(ジャマールは後年死去)。▼
▲[[10月2日]]
なおノアが全面協力する見返りとしてFEGからサップがノア日本武道館大会で[[小橋建太]]とシングルマッチを行うことになっていたと言われている。だがサップが谷川からの依頼を断り更には現在まで続くゴタゴタが起きたため結局、曙が参戦。▼
▲なおノアが全面協力する見返りとして、FEGからサップがノアに派遣され、ノアの日本武道館大会で[[小橋建太]]とシングルマッチを行うことになっていたと言われている
=== 延期 - 中止 ===
第3戦
また[[8月10日]]に設立したビッグマウスが運営するプロレス団体「[[ビッグマウス|ビッグマウス・ラウド]]」に上井が一生懸命になっていると谷川は話し == 脚注 ==
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== 関連項目 ==
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