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'''露木 茂'''(つゆき しげる、[[1940年]][[12月6日]] - )は、[[日本]]の[[フリーアナウンサー]]、[[ニュースキャスター]]。元[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。[[東京国際大学]]特命教授・客員教授。[[日本記者クラブ]]企画委員
 
現在は元[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[日本のアナウンサー|アナウンサー]]。[[東京国際大学]]特命教授・客員教授。[[日本記者クラブ]]企画委員。

[[TBSスパークル]](旧:[[キャスト・プラス]])所属。妻は[[早稲田大学]]時代の同級生で同じアナウンス研究会に所属していた元[[テレビ朝日|NETテレビ(現:テレビ朝日)]]アナウンサーの[[軽部和子]]。息子2人も父である自身や妻と同じく早稲田大学の出身者。弟は元[[自動車]]会社勤務
 
== 来歴 ==
[[東京市]][[麹町区]](現:[[東京都]][[千代田区]])出身。[[千代田区立麹町小学校]]、[[千代田区立麹町中学校]]、[[早稲田大学高等学院・中学部|早稲田大学高等学院]]を経て[[早稲田大学]][[政治経済学部]][[経済学|経済学科]]に入学。高校・大学時代はボート部、大学途中で[[アナウンス研究会]]に所属し、[[大沢悠里]]、[[鈴木史朗]]会友だった。また、アナウンサー同期でもある[[徳光和夫]]は古くからの友人である。高校は[[東京都立九段高等学校]]にも並行して籍が存在したことがある<ref>{{cite web|url=http://www.nicovideo.jp/watch/1524119141|title=DHCテレビ 髙山正之『放言BARリークス』#50|publisher=[[DHCテレビ]]|date=|accessdate=2018-04-21}}</ref>。
 
大学卒業後の[[1963年]]、[[日本のアナウンサー|アナウンサー]]として[[フジテレビジョン|フジテレビ]]に入社し、数多くのリポートや番組の司会を担当。[[1970年]]には『[[小川宏ショー]]』での司会ぶりが評価され、第7回放送批評家賞([[ギャラクシー賞]])を受賞する<ref>{{cite web|url=http://www.houkon.jp/galaxy/7th.html|title=第7回ギャラクシー賞受賞作品|publisher=[[放送批評懇談会]]|date=|accessdate=2014-11-13}}</ref>。
 
『小川宏ショー』終了後は昼の[[報道番組]]でキャスターを通算9年<ref group="注">途中1年離れていた</ref>、夕方の報道番組でキャスターを5年務め、[[あさま山荘事件]]や[[日本航空123便墜落事故]]が発生した際にフジテレビの[[報道特別番組]]でリポートを担当した<ref group="注">日航機墜落事故の際は、本来のキャスターである大学と職場での後輩の[[逸見政孝]]が夏期休暇中だったため</ref>。この報道特別番組での功績が認められ、[[日本新聞協会賞]]を受賞する。
 
その傍ら、[[1978年]]から18回の長きに渡り『[[FNS歌謡祭]]』の司会を担当するなど、バラエティの分野でも活動した。社内アナウンサーと兼務する形[[1969年]]に報道局解説委員、その後はアナウンス部副部長、アナウンス部専任部長<ref>[https://smart-flash.jp/showbiz/joshiana/7445 元アナウンス部部長・露木茂が語る「フジ女子アナ帝国の興亡」(1)] - FLASH DIAMOND 2016年4月30日号</ref><ref>[https://smart-flash.jp/showbiz/joshiana/7471 元アナウンス部部長・露木茂が語る「フジ女子アナ帝国の興亡」(2)] - FLASH DIAMOND 2016年4月30日号</ref>、編成局専任局次長、編成局専任局長、役員待遇メディア事業本部専任局長、役員待遇解説委員・エグゼクティブアナウンサーを歴任(いずれもアナウンサー兼務)。[[2000年]][[12月31日]]の定年退職までフジテレビで勤め上げた。先輩の[[山田祐嗣]]が退職した[[1989年]]からは、フジテレビにおける最年長・最古参のアナウンサーだった。
 
フジテレビ在籍中には[[文化放送]]『[[露木茂のHOTほっと土曜ワイド]]』のパーソナリティを担当し、『小川宏ショー』で共演していた[[小川宏]]とともに[[テレビ朝日]]『[[徹子の部屋]]』(1976年5月5日)に出演したこともある。『徹子の部屋』に他局の現職アナウンサーが出演した唯一のケースである。また、『[[FNNニュースレポート11:30]]』で共演していた部下の[[小出美奈]]と共に[[TBSテレビ|TBS]]『[[クイズダービー]]』(1986年11月15日)にもギャンブラーで出演したこともある<ref>「人気キャスター特集」でフジテレビ代表として出演。この回では他に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[NNNきょうの出来事]]』から[[小林完吾]]と[[櫻井よしこ]]が、TBS『[[JNNニュースコープ]]』から[[田畑光永]]と[[吉川美代子]]がそれぞれペアでギャンブラー出演している。</ref>。
 
[[2002退職後も、1年3か月の間、]]に役員待遇で特別アドバイザー・解説委員定年アナウンサー兼任契約満了としてを迎えフジテレビに在籍。[[2002年]]にを退社してフリーとなりに転身し、同年4月から1年間、露木にとって初の他局レギュラー出演となる[[TBSテレビ]]『[[おはよう!グッデイ]]』の司会を務めた。
 
フジテレビ在籍中から[[日本大学]]芸術学部講師として「アナウンス実習」担当。女性受講生が多く後にフジテレビなどマスコミ系進む者いた。12年勤めた後、後輩の[[松倉悦郎]]に譲った)や日本大学文理学部講師(「情報社会論」担当)などの教職も務めた。フジテレビ退職後も、2002年4月から[[2011年]]3月まで[[東京国際大学]]国際関係学部の[[教授]]を務めたほか、[[2003年]]4月から2011年3月までは[[早稲田大学]]客員教授としてマスコミュニケーション論を教えてい担当した。
 
かつて、事件の立てこもり犯を説得したことがあると[[2017年]]にゲスト出演した『[[爆笑問題の日曜サンデー]]』にて語った<ref>{{Cite web|title=知られざる露木茂の話に、爆笑問題も「えーーー!?」|url=https://www.tbsradio.jp/148595|publisher=[[TBSラジオ]]|date=2017-05-21|accessdate=2017-05-22}}</ref>。
 
現在はフリーの司会業や講演活動に加え、東京国際大学特命教授・客員教授の職を務めるほか、[[日本記者クラブ]]企画委員として日本記者クラブ主催討論会の司会も務めている。
 
== 人物・エピソード ==
*学生時代のアルバイトは学生バンドの司会、[[東京中日スポーツ|東京中日新聞]]の電話ニュースアナウンサー。
*フジテレビの前に日本麦酒(後の[[サッポロビールホールディングス|日本サッポロビール]]の内定を得ていた。後年に露木が担当していた[[FNN DATE LINE|ニュース番組]]で[[ドライビール|ドライ戦争]]に関する特集を組んだ際、日本ビール会社を志望した理由について「ただでビールが飲めるだろうから」と語っていた。
*1963年にフジテレビへの入社した日は[[4月1日]]ではなく[[3月1日]]となっている。当時のフジテレビは[[ニッポン放送]]と[[文化放送(先輩の[[鳥居滋夫]]や[[山田祐嗣]]はニッポン放送や文化放送からの共同向)の折半で設立されてから年月が浅く自社アナウンサーが不足しており、新人でも即戦力として仕事をせよと言われたため(実際、早大の在学末期からアナウンサー研修を受けていた
*在京キー局のアナウンス職の採用は毎年3 - 5人程だが、上述のようなフジテレビの当時の社内事情もあり、同期のアナウンサー(入社当時)は7人(男性は3人=露木本人と[[岩佐徹]]、[[能村庸一]]の3人で、女性は4人)もいたため、例年に類を見ない異例のアナウンサー大量採用の年となった(他局では[[テレビ朝日]]が[[1977年]]に、3年後の[[モスクワオリンピック]]をにらんで[[古舘伊知郎]]や[[佐々木正洋 (1954年生)|佐々木正洋]]、[[渡辺宜嗣]]、[[宮嶋泰子]]ら9人のアナウンサーを大量採用したという事例もある)。
*『[[鉄人28号 (テレビアニメ第1作)|鉄人28号]]』のオープニングで流れていた有名な台詞『てつじんにじゅうはちごう、ガオー』は露木の声であり、これが彼の'''アナウンサーとしての初仕事'''であった。また、ナレーターや声優としての経験もある。
*入社した年に当時[[TBSテレビ|TBS]]アナウンス部長の[[中村要輔|中村陽介]]からTBS移籍を推奨されたが、断った。
*1965年に『[[小川宏ショー]]』がスタートした際、「金がかからない」という上層部の判断から男性アシスタントとして抜擢された。
*[[1969年]]にフジテレビの[[労働組合]]の執行委員となった際、当時の経営陣から執行委員を辞めるよう迫られたが拒否した結果、[[1970年]][[3月31日]]の放送を最後にキャスターを担当していた『小川宏ショー』の降板を命ぜられた。しかし、番組終了直前にADから渡された「富士山上空で日航機がハイジャックされた」([[よど号ハイジャック事件|日航機よど号ハイジャック事件]])というニュース速報を見るや「ただいま日航機がハイジャックされたというニュースが入ってきました。今からその取材に行って参ります」と挨拶し、その日の放送を終了させた。これは露木の独断であったが、[[生放送]]中の発言のため撤回することもできず、上層部は彼にリポーターを任せざるを得なかった。翌日の放送からは現場リポートという形で出演を続け、事件の収束後、再びキャスターに返り咲いた。
*[[1972年]]に[[連合赤軍]][[あさま山荘事件|浅間山荘事件]]で犯人逮捕人質救出作戦が行われた2月28日、司会兼リポーターとして出演していた『小川宏ショー』がスタートした9:00から夕方の『[[FNNニュース]]』が放送終了時刻の18:45まで現場からリポートしていた。本人の話によると「次の番組を飛ばしたから頑張ってくれ」という指示が本社から出続けたため、食事はおろかトイレにも行けず「一体いつになったら終わるのだろう…」と不安に駆られたという。またこの時、犯人からの銃弾が至近距離に着弾した。
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**このニュースの音源は[[2005年]][[8月21日]]放送のに[[テレビ東京]]『[[上を向いて歩こう]]・[[坂本九]]物語』の台詞として使われ、2005年[[8月12日]]にフジテレビで放送された、日本航空123便墜落事故関連の再現ドラマ内で、当時の映像に露木本人が速報と報道特番で登場した姿がある。
**またこの時、夏休みで大阪の実家へ帰省する予定だった逸見政孝も家族揃って123便への搭乗を検討したものの直前で[[東海道新幹線]]利用に切り替え九死に一生を得た<ref group="注">逸見の長男・[[逸見太郎|太郎]]が「新幹線の方が安い」と助言したことと、妻・[[逸見晴恵|晴恵]]が飛行機嫌いだったため。</ref>。逸見は東京に戻って報道特番に出演することも考えたものの「いいとこ取りになる」と考え実家に残って露木の出演した報道特番を視聴することにした。後に逸見は著書の中で、露木の対応を絶賛することになる。
*1986年[[11月25日]]の『[[おはよう!ナイスデイ]]』の放送中に[[有楽町三億円事件|有楽町で3億円強奪事件が発生]]、露木は報道デスクセンターからそのニュース速報を伝えることになった。司会の[[桑原征平]]<ref>当時は系列の[[関西テレビ放送|関西テレビ]]所属のアナウンサーであったが、東京に単身赴任して同番組に出演していた。</ref>が「フジテレビの報道デスクさん、新しい情報入って来ましたでしょうか?」と呼びかけて映像が切り替わると、飛び込んできたのは、スタッフと談笑し'''大爆笑中の露木の姿だった'''<ref>露木は「突然来て準備が整わなかった」と述べた他、あるNG集において「全くスタジオと報道部の疎通を取れなかった」と述べている</ref>。すかさずスタジオに映像が戻り、桑原は苦笑しながら「ちょっと連絡がつかなかったようなんですけれど、えー、露木さん、本番前にちょっとリラックスされてたんでしょうかねぇ。失礼いたしました」と苦し紛れの弁明をし、桑原が「露木さん!」と再度呼びかけ再び報道デスクに映像が切り替わると、数秒前とは180度変わった大真面目な顔をし、「突然来たものですから」と弁解してニュースを伝えた<ref name="happening" />。
*多くのフジテレビの看板番組で司会を務めた[[芳村真理]]とは[[1966年]]に芳村が『小川宏ショー』のアシスタントとして抜擢されて以降、何かと同局の大型番組でコンビを組むことが多く、私的にも親しい間柄とされている。特に年末の『[[FNS歌謡祭]]』では1978年から[[関口宏]]に代わる男性司会者として抜擢されて以来、9年連続でコンビを組み、同番組の黄金期を共に支えた。
**また、芳村が司会を務めていた『[[夜のヒットスタジオ]]』へは、男性の代理司会として2回(1986年2月5日と1990年6月13日)、番組終了後の1990年12月26日の『夜のヒットスタジオ大感謝祭スペシャル』の司会も務めた。
*アナウンス部長時代には[[中井美穂]]、[[有賀さつき]]、[[河野景子]]、[[八木亜希子]]、[[木幡美子]]、[[佐藤里佳]]、[[田代尚子]]、[[大坪千夏]]、[[松井みどり]]、[[近藤サト]]、[[中村江里子]]、[[小島奈津子]]、[[西山喜久恵]]など後に活躍する「'''女子アナブーム'''」の主役たちの採用を決めた責任者だった。また仕事柄で芸能関係者と交流がある彼は、新人女性アナウンサーがデビューする頃、[[タモリ]]や[[笑福亭鶴瓶]]などの芸能関係者に「もうすぐ新人が世話になるからよろしくね」と毎年挨拶していた。1988年頃から新人アナウンサーの教育係を担当。
*『FNNスーパータイム』の最終回で、フジテレビのドラマプロデューサーが[[逮捕]]されたというニュースを伝えた際、「『スーパータイム』最後の日に、私ども身内の大馬鹿者のニュースをお伝えしなくてはならないというのは大変情けない」と、自局の不祥事ながらも対象だった社員をバッサリと斬り捨てた。フジテレビで自局の不祥事を報道することは極めて異例である(自局社員が犯した犯罪を報道しても大抵は警察発表と自局広報のコメントをそのまま流す程度であるか、あるいは全く公表しない)。
*1998年4月から1年間、早稲田大学の大学院に通い、メディアと社会の関係についての講義を受講した。
*定年目前の1999年11月、同局の公金を横領したとの疑惑が浮上。政界への工作資金と報道され、当時司会を務めていた『報道2001』を降板し、後輩で前任者の[[黒岩祐治]]と交代したが、2002年3月までの間は役員待遇の為定年延長となりフジテレビに在籍した。その後メディアへは2007年11月にドラマ『SP』に元総理大臣役で古巣のフジテレビ番組に4年7ヶ月ぶりには激減した。2008年には8月に『[[カスペ!]]フジテレビアナウンサー全員集合!超真剣女子アナvs男子アナ完全決着〜[[アナ☆ログ]]SP〜』にVTRで出演し、11月に『[[ウチくる!?]]』などに出演している
*定年退職後も2002年3月までの間は役員としてフジテレビに在籍。その後は2007年11月にドラマ『SP』に元総理大臣役で古巣のフジテレビの番組に4年7ヶ月ぶりに出演した。2008年には8月に『[[カスペ!]]フジテレビアナウンサー全員集合!超真剣女子アナvs男子アナ完全決着〜[[アナ☆ログ]]SP〜』にVTRで出演し、11月に『[[ウチくる!?]]』などに出演している。
*現在は[[鈴木史朗]]と同じTBS関連の事務所に所属している。
 
== 現在の担当番組 ==