「川田利明」の版間の差分

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=== 無所属宣言 ===
[[2005年]]3月、無所属(川田は「フリー」という言葉は好きではないとしてこう称する)選手であることを宣言した。その際、馬場の死後6年間に渡って、正式な専属選手契約を交わさないまま、即ちフリーの立場で全日本に出場していたと語り「他団体主催の興行に出場した時、それが全日本の興行がぶつかると、ファンやプロモーターから『全日本所属なのになぜ?』と苦情を言われてきた。この誤解を解きたい」と理由を述べた<ref>なお、[[2004年]]まで川田は全日本の取締役に就任していたことや、当時の全日本プロレスの選手契約は口頭契約であったため、この発言は真実ではない部分もある。詳しくは[[世界タッグ王座#世界タッグ王座のベルト返還請求訴訟]]を参照。ちなみに、契約を文書にしなければならないという法律はなく、口頭契約でも契約は成立するが、証拠が残らないため、文書化するのが通例である。また、2011のインタビューで全日本では2005年当時はギャラが支払われず、無償で参戦していたことを明かしている<ref>。参照:{{Cite web|url=http://www.ningenfusha.com/?eid=79|title=伝説の川田利明インタビューを全文掲載!|date=2011-11-14|accessdate=2011-12-26}}</ref>なお、これ以降も全日本へスポットでの参戦を続けている。
 
なおこれに先立ち、[[2003年]]に[[太田プロダクション]]とタレント契約を交わしている。当時マット界の窓口業務的な役割は[[ドリームステージエンターテインメント]]→[[ハッスル (プロレス)|ハッスルエンターテインメント]]が担っていた。