「大和雪原」の版間の差分

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推敲
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[[ファイル:Yamato Snowfield.JPG|thumb|250px|大和雪原]]
[[ファイル:Flag of the Imperial Japanese Antarctic Expedition.svg|thumb|250px|白瀬南極遠征隊の旗]]
'''大和雪原'''(やまとゆきはら・やまとせつげん<!---どちらも可--->)は南極[[探検家]]・[[白瀬矗]]が命名した[[南極]]の地域名。ただし、国際的に広く用いられているものではない。また、2012年に白瀬隊のキャンプ地という扱いで命名された地名でもある
 
「やまとせつげん」と読まれることもあるが、白瀬隊の公式記録である『南極記』では「やまとゆきはら」とされており{{Sfn|南極探検後援会|1913|pages=[{{NDLDC|1876822/107}} 112-113]}}、2012年に[[国立極地研究所]]南極地名委員会および[[南極地域観測統合推進本部]]によって正式な地名として採用された際にも「やまとゆきはら」の読みが採用されている{{Sfn|国立極地研究所|2013}}。
 
== 発見・命名 ==
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{{Quotation|先づ天幕の傍に穴を掘り、携へ来れる芳名簿を入れし銅製の箱を埋め。其傍に一間許りの竹竿を樹て、其上に予て用意の大国旗を翻へし、更らに之に隣つて赤ペンキを塗つたる三角形ブリキ製の回転旗を樹て、其等の旗の舌に突進隊員全部整列した。此時、白瀬隊長は国旗の下に厳かに一般同情者諸士に感謝する旨の式辞を述べ、謹んで陛下の万歳を三唱し奉つた。一行は之に和して続いて万歳を三唱したが、それが終ると、隊長は此露営地を中心として、目の届く限り、渺茫際なき大雪原に『<ruby><rb>大和雪原</rb><rp>(</rp><rt>やまとゆきはら</rt><rp>)</rp></ruby>』と命名した。時正に午後零時二十分であつた。|南極探検後援会編|『南極記』{{Sfn|南極探検後援会|1913|page=[{{NDLDC|1876822/107}} 112]}}}}
 
そのなお、白瀬南極遠征隊による探検後、直ちに日本の後続の探検隊が送られることもなかったために、大和雪原の範囲は明確化されていない。日本領の宣言についてまた、現在で大和雪原は、陸上ではなく、[[第二次世界大戦ルーズベルト島 (南極)|ルーズベルト島]]南方の[[日本国との平和条約|サンフランシコ平和条約棚氷]]第2条おいあることが判明し、日本国政府いる。白瀬[[南極地域の領有権を放棄大陸]]に上陸ておりたのにもかかわらず無効一片の岩石も持ち帰るこができたことを悔やんだとう。{{Sfn|神沼|2009|page=62}}
 
白瀬は[[第二次世界大戦]]後、1946年(昭和21年)にも南極における日本の領有権確認の書簡を出したりしているが<ref>{{Cite web|url=https://www.ndl.go.jp/kaleido/entry/19/2.html |title= 本の万華鏡 第19回 白瀬矗、南極へ―日本人初の極地探検 第2章 白瀬矗の探検人生と、関係者との人間ドラマ|author= |date= |work= |publisher= 国立国会図書館|accessdate=2020-04-12 }}</ref>、結局のところ、1951年署名の[[日本国との平和条約|サンフランシスコ平和条約]]第2条において、日本国政府は南極地域の領有権を放棄しており、日本領の宣言は無効となっている。
 
日本国内において使われていた地名であったが、[[2012年]]6月、改めて日本の[[国立極地研究所]]南極地名委員会は、白瀬矗の南極探検100周年を記念して、「大和雪原」(やまとゆきはら Yamato Yukihara)の地名を正式に付与することを決定した。この決定は[[南極地域観測統合推進本部]](南極本部)によって承認され、南極本部から国内関係機関へ、国立極地研究所から{{仮リンク|南極研究科学委員会|en|Scientific Committee on Antarctic Research}}(SCAR)を通じて各国の南極関係機関へ、それぞれ通知された。区分としてはキャンプ地の呼称とされ、位置は{{ウィキ座標度分秒|80|05|00|S|156|37|00|W|region=AQ|display=inline,title}}とされている{{Sfn|国立極地研究所|2013}}。[[アメリカ地質調査所]]の[[地名情報システム]](GNIS)には {{En|Yamato Yukihara Camp Site (historical)}} として登録されている<ref>{{cite gnis|19517|Yamato Yukihara Camp Site (historical)|type=antarid|accessdate=2018-02-17}}</ref>。
なお、現在では大和雪原は、陸上ではなく、[[ルーズベルト島 (南極)|ルーズベルト島]]南方の[[ロス棚氷]]上にあることが判明している。白瀬は[[南極大陸]]に上陸したのにもかかわらず、一片の岩石も持ち帰ることができなかったことを悔やんだという。{{Sfn|神沼|2009|page=62}}。
 
==読み==
== 正式な地名としての登録 ==
大和雪原については、「やまとせつげん」と読まれることもあるが、白瀬隊の公式記録である『南極記』では「やまとゆきはら」とされており{{Sfn|南極探検後援会|1913|pages=[{{NDLDC|1876822/107}} 112-113]}}、2012年に[[国立極地研究所]]南極地名委員会および[[南極地域観測統合推進本部]]によって正式な地名として採用された際にも「やまとゆきはら」の読みが採用されている{{Sfn|国立極地研究所|2013}}。
[[2012年]]6月、日本の[[国立極地研究所]]南極地名委員会は、白瀬矗の南極探検100周年を記念して、「大和雪原」(やまとゆきはら Yamato Yukihara)の地名を正式に付与することを決定した。この決定は[[南極地域観測統合推進本部]](南極本部)によって承認され、南極本部から国内関係機関へ、国立極地研究所から{{仮リンク|南極研究科学委員会|en|Scientific Committee on Antarctic Research}}(SCAR)を通じて各国の南極関係機関へ、それぞれ通知された。区分としてはキャンプ地の呼称とされ、位置は{{ウィキ座標度分秒|80|05|00|S|156|37|00|W|region=AQ|display=inline,title}}とされている{{Sfn|国立極地研究所|2013}}。[[アメリカ地質調査所]]の[[地名情報システム]](GNIS)には {{En|Yamato Yukihara Camp Site (historical)}} として登録されている<ref>{{cite gnis|19517|Yamato Yukihara Camp Site (historical)|type=antarid|accessdate=2018-02-17}}</ref>。
 
== 脚注 ==