「カービー・チャンブリス」の版間の差分

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更にその後、[[1985年]]から曲技飛行の訓練を始め、専用機を購入するために[[ビジネスジェット]]のパイロットになった。初めてのコンテストで上位入賞し、アンリミテッド級でめきめきと頭角を現し始めた<ref name="Cunningham 05" />。[[1997年]]、アメリカの曲技飛行チームのメンバーになり、後にキャプテンに就任する<ref name="Marines 10">Main, Tyler L. [http://www.mcbhawaii.marines.mil/News/NewsArticleDisplay/tabid/6999/Article/103930/born-with-wings-red-bull-flyer-kirby-chambliss-shares-experience-life-career-be.aspx "Born with wings - Red Bull flyer Kirby Chambliss shares experience, life, career before base air show"]. [[Marine Corps Base Hawaii]], August 6, 2010. Retrieved on May 25, 2013.</ref>。アメリカの国内選手権で5度優勝し、世界選手権で13度表彰台に上った。[[2000年]]にはフリースタイル部門の世界チャンピオンになり<ref name="Cunningham 05" />、飛行時間は2万7000時間に達する。[[2013年]]、[[エルサルバドル]]の[[エアショー]]では競技中に失速してしまい、岩の堤防に不時着し、機体がわずかに傷ついた<ref>{{cite web|title=Chambliss Reportedly OK After Crash in El Salvador|url=http://www.eaa.org/news/2013/2013-01-23_chambliss-reportedly-ok-after-crash.asp|accessdate=2013-12-30}}</ref>。
 
伝統あるエアショーに出演していた時期はトレーニングや競技に参加していなかったが、[[2003年]]から、[[レッドブル]]でチームメイトだった[[ハンガリー]]のエアレーサー、[[ベシェニェイ・ペーテル|ピーター・ベゼネイ]]が提唱して始まった[[レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ]]に「'''Team Chambliss'''」として[[ジブコ エッジ540]]で参戦し、2004年と<ref name="Marines 10" />2006年に<ref name="Marines 10" />総合チャンピオンになった。かなりのGがかかり、正確なタイミングを維持するために、週に5日は4マイルの飛行を続けている。
 
[[レッドブル・エアレース・ワールドシリーズ|レッドブル・エアレース]]では「Team Chambliss」として活動していた。