「ママス&パパス」の版間の差分

[[1967年]]2月発売のサード・アルバム『Deliver』が全米2位を記録。同年[[6月16日]]から3日間開催された[[モンタレー・ポップ・フェスティバル]]に出演。ジョンはフェスティバルのテーマソング的役割を果たす「[[花のサンフランシスコ]]」を書き上げ、「ジャーニーメン」時代の同僚の[[スコット・マッケンジー]]が歌ったシングルは全米4位を記録した<ref>[http://www.billboard.com/charts/hot-100/1967-07-01 Music: Top 100 Songs | Billboard Hot 100 Chart | THE WEEK OF JULY 1, 1967]</ref>。
 
活動は好調だったが同年「[[朝日をもとめて]]」「[[:en:Glad to Be Unhappy|Glad to Be Unhappy]]」などがヒット。しかしジョンとミシェルの夫婦仲は再び亀裂が生じ始めていた。そして[[1968年]]になると、グループは完全に崩壊し、各メンバーはそれぞれ個人的な活動を始めた。契約上制作しなければならなかった最後のアルバム『People Like Us』は、メンバーが各自で収録した曲をまとめて発売された。
 
== 関係者のその後 ==