「農奴解放令」の版間の差分

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物納は認められず、基本的に対価は貨幣で支払うこととされた。まず土地代は、条例の貨幣地代に100/6をかけた値とされた。貨幣地代が6ルーブルなら土地代は100ルーブルとなった。大ロシアの場合は土地代だけでなくて、解放前に領主が農民の人格に課していた貢租も貨幣に換算のうえ対価に組み入れられた。非黒土地帯の領主は土地の等級分けを利用し対価を稼いだ。特定の分譲可能地には大枠の対価が決まっており、それを最初に分譲する1デシャチナに50%も、次の1デシャチナには25%も割りあて、残りの分譲地ぜんぶに対価の25%を配分するようなことをしたのである。こうして分譲面積が狭い場合でも領主は高収入をあげた。<ref name=tanaka />
 
解放令発布後も地主は次の[[国勢調査]]まで死亡した農奴の[[人頭税]]も支払わなければならなかった。[[ニコライ・ゴーゴリ]]の長編小説「[[死せる魂]]」は、主人公が人頭税から逃れようとする地主から死んだ農奴の名義を買い集めて大地主になりすまそうとする話である。
 
== 新ロシア開発 ==