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{{BLP unsourced|date=2018年3月13日 (火) 04:03 (UTC)}}
{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = シャルル・デュトワ<br /><small>Charles Dutoit</small>
| Img = Charles Dutoit (1984) by Erling Mandelmann.jpg
| Img_capt = シャルル・デュトワ(1984年)
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| Blood = <!-- 個人のみ -->
| School_background = <!-- 個人のみ -->
| Born = {{生年月日と年齢|1936|10|7}}
| Died =
| Origin = {{SUI}}、[[ローザンヌ]]
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== シャルル・デュトワと日本 ==
デュトワは[[知日派|大の日本びいき]]として知られ、[[日本料理|和食]]や[[陶磁器]]の[[ファン|愛好家]]でもある。インタビュー収録時にも[[歌川広重|広重]]や[[葛飾北斎|北斎]]の画集を眺める姿がある。
 
2000年から3年間、[[札幌市|札幌]]を中心に行われる[[パシフィック・ミュージック・フェスティバル]](PMF)、[[2004年]]から7年間、[[アイザック・スターン]]の遺志を継ぎ、[[宮崎国際音楽祭]]の芸術監督を務めた。宮崎では大ホールでのオーケストラ公演のほか、デュトワが得意とする小編成の楽曲や室内楽曲のレパートリーをも取り上げ、人形劇を加えてのファリャの『[[ペドロ親方の人形芝居]]』やストラヴィンスキーの『[[兵士の物語]]』を街頭で演奏するなどの企画が披露された。
 
[[1999年]]には[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]『[[シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典]]』(世界の音楽主要10都市を特集した全10回の教育ドキュメンタリー・シリーズ)に出演、自らキャストとして作曲家の役にも扮した。
 
他にも[[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]]「[[N響アワー]]」の新年番組にもゲストとして袴姿で出演している。(この際、「あけましておめでとうございます」と日本語で話した。)
 
デュトワとかかわりのある人たちは日本と不思議な因縁で結ばれている。
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アルゲリッチが娘アニー・デュトワ(音楽ジャーナリスト)を身ごもったことに気づいたのが、この初来日の時であり、[[1974年]]には夫婦共演のために再び日本を訪れたが、夫婦喧嘩からアルゲリッチは一方的に公演をキャンセルして帰国、あげくデュトワと離婚に至ったという経緯がある。
 
その後アルゲリッチはデュトワと和解し、近年では、デュトワ指揮、アルゲリッチのピアノで共演を重ねている。偶然とはいえ、デュトワとアルゲリッチは、それぞれ九州の音楽フェスティバルの芸術監督に就任している。また、娘アニーも、日本での取材が振り出しとなって記者活動を始めている。
 
=== NHK交響楽団音楽監督 ===
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[[2003年]]6月、音楽監督を退任するが、(音楽監督として最後の演奏は[[リヒャルト・シュトラウス|R.シュトラウス]]『[[エレクトラ (リヒャルト・シュトラウス)|エレクトラ]]』(演奏会形式)であった。)同年9月から名誉音楽監督に就任し、以降もほぼ毎シーズン、定期公演の指揮をしている。
 
デュトワが来たことに伴ってドイツ音楽に偏っていたレパートリーがフランス音楽を始めとしてグローバルに広がり、サウンドも色彩感を持つように変化した。またこれまで国内をその活動の中心に置いてきた同楽団は周期的に海外公演を行うようになり、また[[デッカ・レコード|デッカ・レーベル]]によるレコーディングも行われた。これまでにヨーロッパ、アジア、アメリカ、ロシアの各主要都市で広く公演を行っており世界的な知名度が増した。
 
また、NHK[[大河ドラマ]]第39作『[[葵 徳川三代]]』のテーマ音楽の指揮もした。さらにデュトワとN響には[[ユニクロ]]のTVCM出演の企画まで持ち上がったこともあったが、これは[[日本放送協会|NHK]]から待ったがかかり、実現しなかった。