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環状線
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'''縦貫線(北段)'''(じゅうかんせん)は、[[台湾]][[基隆市]][[仁愛区]]の[[基隆駅]]から[[苗栗県]][[竹南鎮]]の[[竹南駅]]に至る[[台湾鉄路管理局]]の[[鉄道路線]]である。
 
台湾鉄路管理局の[[西部幹線]]の一部として運用されている。実際の運行形態本項で基隆駅 - 高雄駅間を結ぶ[[縦貫線 (台湾鉄路管理局)|縦貫線]]を参照のうち、「北段」と呼ばれる基隆駅 - 竹南駅間の区間について解説する
 
== 路線データ ==
*管理者:[[台湾鉄路管理局]]
*路線距離([[営業キロ]]):基隆 - 竹南間 125.4km
*[[軌間]]:1,067mm
*駅数:32
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== 歴史 ==
「[[縦貫線 (台湾鉄路管理局)#歴史]]」も参照
縦貫線の建設は、[[清朝]]時代末期に開始された。時の[[台湾巡撫]]である[[劉銘伝]]が計画し、既に[[基隆駅|基隆]]~[[台南駅|台南]]間の路線経路も決定していたが、財政状況の緊迫により次代の[[邵友濂]]が計画の一時停止を上奏。僅かに[[1891年]]([[光緒]]17年)に[[基隆駅|鶏籠]]~[[汐止駅|水返腳]]、[[1893年]](光緒19年)水返{{Lang|zh|腳}}~[[台北駅|台北]]が、同年に[[淡水駅|淡水]]~[[新竹駅|新竹]]間の2路線が開業したのみであった。[[1896年]]([[明治]]29年)[[日本統治時代の台湾|台湾が日本領となる]]と、縦貫線建設が主要施政計画に盛り込まれた。鉄道技師長の[[長谷川謹介]]の計画によると、清代の路線の9割以上を大幅に改修し、更に南部からも路線の敷設を開始するというものであった。[[1908年]](明治41年)中部にて南北の路線は接続され全線開通。[[台湾総督府]]は同年[[10月24日]]に[[台中公園]]にて「縦貫鉄道全通式」を挙行した。[[1945年]]([[昭和]]20年)までに基隆~竹南間が複線化されている。
 
縦貫線の建設は清朝統治時代の末期に開始され、[[1891年]]に基隆 - [[台北駅|台北]]間が開業する。これは台湾初の鉄道路線であり、縦貫線のうち最初に開業した区間でもあった。[[1893年]]には[[新竹駅|新竹]]まで延伸され、この状態で日本への台湾割譲を迎える。日本は台湾の開発において基隆 - 高雄間を結ぶ縦貫線の完成が重要であると考え、建設時の規格が低く日清戦争中の混乱を受けて荒廃していた基隆 - 新竹間の大規模な改良と新竹 - 高雄間の建設を進めた。新竹 - 高雄間の建設は南北両側から進められ、[[1908年]]([[明治]]41年)に全線が開業した。
[[中国国民党|国民党]]遷台以降の経済発展により、当時の台鉄の設備では日々増加する貨物輸送量に応じきれなくなったため、[[1970年代]]より縦貫線の[[鉄道の電化|電化]]工事を開始、[[1979年]][[7月1日]]に全線電化が完成した。
 
縦貫線(北段)のうち、基隆駅 - 台北駅間は[[1919年]]([[大正]]8年)に、台北駅 - 竹南駅間は[[1935年]]([[昭和]]10年)に[[複線]]化された。
 
[[1970年代]]から縦貫線の[[鉄道の電化|電化]]工事を開始し、[[1979年]][[7月1日]]に縦貫線の全線電化が完成している。
=== 都心立体化事業 ===
{{Main|:zh:臺北鐵路地下化專案|台鉄捷運化}}