「超電導リニア」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
277行目:
 
== 歴史 ==
[[日本国有鉄道]](国鉄)のリニアモーターカーに関する研究は、まだ[[東海道新幹線]]の開業前の[[1962年]](昭和37年)に、[[鉄道技術研究所]]で次世代[[高速鉄道]]に関する基礎研究が開始されたことに始まっている。基本目標として、最高速度500km/hで[[東京]]と[[大阪]]間を1時間で結ぶことができるものとした。磁気浮上リニアモータ方式以外にも、[[アエロトラン空気浮上式鉄道|空気浮上]]、車輪支持のリニアモータも検討された。<ref>『[[#Tetsudousouken1997|超電導リニアモーターカー]]』pp.19 - 20</ref>
 
[[1960年代]]に、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[ブルックヘブン国立研究所]]のパウエルとダンビーから[[超電導電磁石]]によるEDS浮上が提案されていた。これを受けて[[1969年]](昭和44年)、[[超電導]]を使った電磁石による[[磁気浮上]]が[[鉄道技術研究所]]の[[京谷好泰]]達のグループによって研究テーマとして提案された。<ref>当時、国内では[[超電導]]に関しての知識の普及が遅れており、永久電流が流れる超伝導現象は[[永久機関]]と同類であるとの誤解をする者もいて超伝導の研究者は変人呼ばわりされたという。その後、日本とアメリカの関係者の会合で日本側が超伝導磁石に関する発表を行ったところ、突然アメリカ側の参加者達が日本側が当時アメリカで機密事項になっていた超伝導に関する技術を盗み出したとの嫌疑により会議を中断したという。その後、出典を書き留めていた日本側の説明により事態は収まり、会議は再開されたという。この事は超伝導の研究の重要性を十分に理解していなかった日本側の上層部にも研究の重要性を認識させる契機となった。</ref>同年12月には超電導磁気浮上方式で東京 - 大阪間を1時間で結ぶための研究をしていることの初の記者発表がなされ、[[1970年]](昭和45年)[[4月]]には、東京で開かれた「鉄道の近代化に関する世界鉄道首脳者会議」で国鉄の[[磯崎叡]]総裁が超電導電磁石方式の開発に触れた<ref>『[[#Ide1998|疾走する超電導 リニア五五〇キロの軌跡]]』pp.24 - 25</ref>。なお、同年開催された[[日本万国博覧会]]の「日本館」にてリニアモーターカーの[[模型]]が展示されており、世間一般にも広く認知されることとなった。