「フゲンゾウ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
SLIMHANNYA (会話 | 投稿記録) |
SLIMHANNYA (会話 | 投稿記録) 編集の要約なし |
||
11行目:
|属 = [[サクラ属]] ''[[w:Cerasus|Cerasus]]''
|種 = '''×''lannesiana'' '''
|学名 = ''Cerasus'' Sato-zakura Group ‘’Albo-rosea’ Makino<ref name = "katsuki2015">勝木俊雄『桜』p28、岩波新書、2015年、ISBN 978-4004315346</ref><ref name = "katsuki2017">[https://www.jstage.jst.go.jp/article/treeforesthealth/21/2/21_93/_pdf サクラの分類と形態による同定 p.97] 樹木医学研究/21 巻 (2017) 2号、勝木俊雄</ref>
|
|和名 =
|英名 =
}}
'''フゲンゾウ'''('''
== 特徴 ==
[[File:フゲンゾウ全体.jpg|thumb|left|250px|[[日本花の会]] 結城農場 桜見本園にて]]
[[
== 古くからあるサトザクラ ==
歴史的な文献には、フゲンゾウの名の付くサクラの始まりは[[鎌倉]]の普賢菩薩が安置されていたお堂にあったサクラの名木を「普賢堂」と呼んだこと、その白い花を普賢菩薩が乗る白象に見立てて「普賢象」となったこと、[[室町時代]]には「普賢象」が名桜として知られていて京都の[[引接寺 (京都市)|千本ゑんま堂]]の「普賢象」の枝が[[足利義満]]に献上されたということが記されている。このためサトザクラの中でもかなり古い品種であるとされるが<ref name = "IDENSHIKEN">[http://www.genetics.or.jp/Sakura/htmls/fugenzou.html 遺伝子研の桜]</ref>、これらの「普賢象」が現在のフゲンゾウと同一の栽培品種であったかは議論の余地があり、室町時代以後の京都で現在の品種となった可能性も指摘されている。なお、文献により[[江戸時代]]後期の「普賢象」は現在のフゲンゾウと同一であったことが確認されている<ref name = "katsuki20153">勝木俊雄『桜』p91 - P92、岩波新書、2015年、ISBN 978-4004315346</ref>。
== 脚注 ==
|