「アシッドジャズ」の版間の差分

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1985年、ジャイルス・ピーターソンが監修したDJ向けのコンピレーション・アルバム「Jazz Juice Vol.1」に、[[セルジオ・メンデス]]の「Mas Que Nada」や[[アイアート・モレイラ]]の「Celebration Suite」等、アメリカ製のブラジル音楽が収録された。[[バトゥカーダ]]を基調にした「Celebration Suite」は、アシッド・ジャズのクラブで人気となり、その後、複数のカバー・バージョンがリリースされている。<ref>アイアート・モレイラ 「I'm Fine How Are You?」 ライナーノーツ</ref>
 
1986年に「Far Out Records」のジョー・デイヴィスが、入手困難なブラジル盤レコードを現地から輸入してDJへ供給を始めたことにより、1960年代のジャズ・サンバや[[ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ|MPB]]がクラブ・シーンに紹介された。<ref name="gr"/> MPBの代表的なアーティスト、[[ジョイス (歌手)|ジョイス]]のアルバム「Feminina」に収録された「Aldeia De Ogum」は、アシッド・ジャズ・シーンにおいて取り分け人気が高く、ジョイスのロンドン公演「トーキング・ラウド・セッション」の際には、観客がロック・コンサートさながらの盛り上がりを見せた。<ref name="gr"/> ジョイス同様に女性シンガーの[[エリス・レジーナ]]も高く評価されており、代表曲の「Upa,Negrinho」は、[[エドゥ・ロボ]]のオリジナル・バージョンと共にDJの間でスタンダードと化している。<ref name="mm9">ミュージック・マガジン誌 1993年9月号</ref>
 
1992年にセルジオ・メンデスは、サンバ・ヘギ(レゲエ調のサンバ)のリズム<ref>セルジオ・メンデス 「Brasileiro」 ライナーノーツ</ref>