「安芸乃島勝巳」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
40行目:
[[1990年]](平成2年)〜[[1992年]](平成4年)の頃には、横綱昇進がかかっていた元大関[[小錦八十吉 (6代)|小錦]]にめっぽう強く「小錦キラー」と呼ばれ、小錦の最大の壁として横綱昇進を阻止した(対戦成績でも25勝10敗と大きく勝ち越している)。また[[1991年]](平成3年)7月場所8日目には、進退を懸けていた横綱大乃国を一方的に[[押し出し (相撲)|押し出し]]て下したが、4勝4敗と不調だった大乃国はこの一番を最後に現役引退を表明、結果的に引導を渡す格好となった。
 
小錦には強かったが、曙とは相性が悪く8勝30敗と苦手にしていた。93年くらい9月場所から98年53月場所まで17連敗(途中に安芸乃島の不戦勝1つがある)だった時もある。
 
1988年7月場所は帰り入幕の場所で11勝し初の三賞敢闘賞。9月場所は1横綱3大関に勝ち初金星と殊勲賞。1989年7月場所は2横綱1大関に勝ち2回目のダブル金星。9月場所も2横綱2大関に勝ち3回目のダブル金星。1990年3月場所は2横綱1大関に勝ちダブル金星と殊勲賞。5月場所は1横綱2大関に勝ち殊勲賞と技能賞。11月場所は2横綱1大関に勝ち4回目のダブル金星で殊勲賞。1991年5月場所は旭富士に勝ち、高見山の記録を更新する13個目の金星と敢闘賞。1992年3月場所は初日から8連勝で12勝し殊勲賞と敢闘賞。1993年7月場所は曙に勝ち15個目の金星と12回目の三賞。1995年1月場所は初めて三役で11勝し敢闘賞。3月場所も初めて関脇で11勝し敢闘賞など活躍。5月場所は初の大関取りに挑むも負け越して失敗。