「アンナ・フセヴォロドヴナ (トゥーロフ公妃)」の版間の差分

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'''アンナ・フセヴォロドヴナ'''({{lang-ru|Анна Всеволодовна}})は、[[グロドノ公]][[フセヴォロド・ダヴィドヴィチ (グロドノ公)|フセヴォロドコ]](おそらく[[ダヴィド・イーゴレヴィチ]]の子)の娘である。母は[[キエフ大公]][[ウラジーミル・モノマフ]]の娘[[アガフィヤ・ウラジミロヴナ|アガフィヤ]]。
 
1144年、[[ピンスク公]](後に[[トゥーロフ公]])[[ユーリー・ヤロスラヴィチ (トゥーロフ公)|ユーリー]]と結婚した<ref>中沢、2015年。p333</ref>。事績はほぼ不明であるが、1190年の、自身の末子[[ヤロポルク・ユーリエヴィチ|ヤロポルク]]の結婚式に関する記述の中に言及されており、この年にまだ存命であったことが判明している。