「ボリス・フセヴォロドヴィチ」の版間の差分
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'''ボリス・フセヴォロドヴィチ'''({{lang-ru|Борис Всеволодович}}、? - 1166年以前)は歴代[[グロドノ公]]のうちの一人である。在任期間は1141年または1142年から1166年以前。
ボリスは、初代グロドノ公[[フセヴォロド・ダヴィドヴィチ (グロドノ公)|フセヴォロド]]と妻[[アガフィヤ・ウラジミロヴナ|アガフィヤ]]との間にうまれた三人の男子のうちの長男である<ref name="ЭСБЕ Борис Всеволодович">[[:ru:s:ЭСБЕ/Борис Всеволодович|Борис Всеволодович]] // Энциклопедический словарь Брокгауза и Ефрона : в 86 т. (82 т. и 4 доп.). — СПб., 1890—1907.</ref>。父の死後グロドノ公位を継いだ。年代記上の初出は1144年であり、弟[[グレプ
1150年、[[キエフ]]をめぐる[[ルーシ内戦 (1146年 - 1154年)|ルーシ諸公の内戦]]においては[[イジャスラフ2世|イジャスラフ]]陣営につき、ドロゴブージへの遠征に参加した。1151年にイジャスラフがキエフを奪還すると、イジャスラフと対立していた[[ユーリー・ドルゴルーキー]]への使者として派遣された<ref name="Назаренко С. 169—170"></ref><ref>Русский биографический словарь. — Т. 3. — С. 236.</ref>。
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1166年には既に弟のグレプがグロドノ公と記されているため、ボリスの死亡年はそれ以前と推定されている。また、結婚していたかどうかも不明である<ref name="ЭСБЕ Борис Всеволодович"></ref>。
<!--1173年、キエフ大公位をめぐり、[[ウラジーミル大公]]アンドレイ[[:ru:Андрей Юрьевич Боголюбский|(ru)]]と、[[オーブルチ公]][[リューリク・ロスチスラヴィチ (キエフ大公)|リューリク]]を中心とするスモレンスク・ロスチスラフ家[[:ru:Ростиславичи Смоленские|(ru)]]の諸公が対立した際に、アンドレイは相手の非を主張する使者をグロドノ公にも送っているが、これが誰の息子だったかは不明である<ref name="Назаренко С. 169—170"></ref>。-->
==出典==
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