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空詩堂 (会話 | 投稿記録)
赤字83線」のひとつとして挙げられ、廃止反対運動が強く盛り上がったが、福知山鉄道管理局はそれを上回る熱心さで、「廃線プロジェクトチーム」を編成し、住民一人ひとり膝づめ談判をするという「大衆説得方式」をとり、1972年3月1日に廃止された
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'''篠山線'''(ささやません)は、かつて[[兵庫県]][[多紀郡]][[丹南町]](現・[[丹波篠山市]])の[[篠山口駅]]から同郡[[多紀町]](現・丹波篠山市)の[[福住駅 (兵庫県)|福住駅]]までを結んでいた、[[日本国有鉄道]](国鉄)の[[鉄道路線]]である。[[1972年]]3月1日に[[廃線|廃止]]された<ref name="tetsudoushi-nenpyou" /><ref name="jtbtanemura">[[種村直樹]]『ローカル線の旅』(1981年12月15日 [[日本交通公社]]出版事業部 発行)</ref>。
 
== 路線データ ==
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[[太平洋戦争]]中、[[丹波国|丹波地方]]で産出される[[マンガン]]や[[珪石|硅石]]輸送と、海沿いを通るため海からの攻撃が懸念された[[山陽本線]]の[[迂回|バイパス]]として[[福知山線]]の篠山駅(現・篠山口駅)と[[山陰本線]]の[[園部駅]]を結ぶ目的(改正[[鉄道敷設法]]別表第78号)で建設された。1944年に篠山口駅 - 福住駅間が開業し、同時に[[1913年]]から篠山駅<ref>福知山線の篠山駅は篠山線開業前の1944年3月1日に篠山口駅に改称したが、篠山鉄道の駅は同年3月20日限りで廃止されるまで篠山駅を名乗っていた。</ref>と[[篠山町]](当時)市街地を結んでいた[[篠山鉄道]]が廃止された。しかしながら翌1945年に終戦を迎え、福住駅 - 園部駅間の建設は中止された。
 
以後、地域輸送に貢献することになるが、園部方面へ早く延長するため篠山町の市街地から離れた[[丹南町]]内に篠山駅を置いたため利用者は少なく、1968年に[[赤字83線]]に指定され沿線住民ひとつとして挙げられた。廃止反対にあ運動が強く盛り上がったもののが、[[西日本旅客鉄道福知山支社|福知山鉄道管理局]]はそれを上回る熱心さで、「廃線プロジェクトチーム」を編成し、住民一人ひとり膝づめ談判をするという「大衆説得方式」をとり、1972年3月1日全線が廃止された<ref name="tanemura"/>
 
なお、篠山口駅 - 園部駅間には1934年から[[園篠線]]として[[国鉄バス]]が運行されており<ref>3月28日篠山-原山口間営業開始[{{NDLDC|2958641/3}} 「鉄道省告示第115号」『官報』1934年3月24日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref><ref>7月11日園部-原山口間営業開始[{{NDLDC|2958729/2}} 「鉄道省告示第310号」『官報』1934年7月7日](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、[[西日本ジェイアールバス]]にも継承されたが2002年に撤退、代わって[[神姫グリーンバス]](移管当初は[[神姫バス]])が篠山口駅 - 福住間、[[京阪京都交通]]が福住 - 園部駅間を運行している。
 
「赤字83線」のひとつとして挙げられ、廃止反対運動が強く盛り上がったが、[[福知山鉄道管理局]]はそれを上回る熱心さで、「廃線プロジェクトチーム」を編成し、住民一人ひとり膝づめ談判をするという「大衆説得方式」をとり、1972年3月1日に廃止された<ref name="jtb"/>。
 
=== 年表 ===